Richard Serra
The Matter of Time
Steidl

Richard Serra(リチャード・セラ)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Richard+Serra&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
YouTube(Richard Serra)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Richard+Serra&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
美術家の言葉(リチャード・セラ)
http://www.b-sou.com/palw-Serra.htm

Holocaust Memorial Berlin(ホロコースト・メモリアル、ベルリン)
→ピーター・アイゼンマンとリチャード・セラのコラボレーション。(井戸)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Holocaust+Memorial+Berlin&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Holocaust Memorial Berlin)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Holocaust+Memorial+Berlin%0D%0A+&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.48
Richard Serra:空間的な(場所の)裂け目としての文字通りのキャンバスについてや、前にある現実の空間と背後にあるイリュージョン的な空間を通した断面図として機能しているキャンバスについて、私が考えない限り、私が完全に理解することができなかった、このびっくり仰天する絵画の空間の中に構成された回路構成がある。私の心の目の中で剥奪されたものは、あるイメージではなくて、その絵画のイリュージョン的な空間とその前にある投影された空間、つまり2つの併置されたヴォリューム、2つのルーム(部屋、場所、空間)、こことそこ、むこうとここから成っている空間だった。この空間の概念は絵画のコンテント(内容、意味)の中で当然見る人を意味している伝統的な戦略から根本的に異なっている。この例の中で、絵画の前の空間は、そこでは私や見る人が立っているのだが、絵画の空間の一部になっていた。
 この空間の概念は絵画よりも他の何か、つまり、見る人と見る人、あるいは、より正確には、サブジェクト(主体)とオブジェクト(客体)の間の関係性の私の概念に挑戦した(異議申し立てた、疑った)思考のモデル(模範)を含意していた。その絵画はあなたに、その空間の中に同じ立場(土台)であなたや見る人を含めることによって、そのリフレクション(反射、反映)の中に自己-意識的に参加することを強いる。最後には、この絵画は現実の空間を表現(表象)しようと試みないが、大げさでなければ、むしろその組み込まれた矛盾とさらされた策略(技術、考案)すべてをともなったあるパースペクティブ(見方的、視点的)なモデル(模範)を構成している。理解したり、あるいは完全にその意味をつかむどころか、その絵画は私がサブジェクト(主体)とオブジェクト(客体)の間のシフト(転換)を見て(調べて、考えて)問う(探求する)のを助けてくれた。
 このサブジェクト(主体)とオブジェクト(客体)の間のシフト(転換)は、(もし主な論点でなかったならば)私の思考をあらかじめ占め始めた私の論点になった。「ラス・メニーナス」の空間が提示した問題は強迫観念になった。それはベラスケスの名人芸(美術趣味)でもなく、私に挑戦する(異議申し立てる、疑う)ステートメント(声明)の詩的なささやきでもなかった。私はフィレンツェに戻って、直ぐにアルノ川に私のキャンバスすべてを投げ捨て、かごの中にぬいぐるみの動物と生きた動物を併置し始めた。3次元の空間の現実性への私の最初の歩みが始まり、私の絵画の日々は明確に終わった。

→ベラスケスの「ラス・メニーナス」といえばフーコーの「言葉と物」を思い出す。以下wikipediaより引用。(井戸)

ミシェル・フーコーは、著作『言葉と物』(1966年)の冒頭の章を『ラス・メニーナス』の分析に費やした。フーコーはこの絵を、非常に詳細に解説したが、それは「規定する訳でもなく、芸術史を調査した色々な文献を参照にする訳でもなく」という状態であった。フーコーは主題にこだわらずに絵をとらえ、画家の経歴、技術力、典拠や影響、社会的背景や後援者との関係も重要視しなかった。彼が分析しようとしたのは、画家の意図した作略、画家と女官と鑑賞者の視覚関係の、複雑に強調された繋がりであった。
「我々が絵を観賞すると、画家は絵の中から順番に我々を見回す。互いにちらりと一瞥し、視線が絡む。しかし相互に見合う弱々しい線には、疑念、交換、見せかけの複雑なつながり全体が包括されている。画家は、彼の主題と同じ位置に偶然立ったときに、視線を我々に巡らせる。」
フーコーにとって『ラス・メニーナス』は、ヨーロッパ芸術の新しいエピステーメー、あるいは考え方の最初の発露であった。絵が表すものは、芸術の歴史の2つの「大きな断続」、クラシックとモダンの中間点であり、「おそらくベラスケスの絵には、古典的表現と、我々にもなじんだ空間の定義が存在する・・・表現は最終的にそれを妨げてきた関係から解き放たれ、本来の純粋な形で描かれるようになった」。

Diego Rodríguez de Silva y Velázquez(ディエゴ・ベラスケス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%82%B9
ベラスケスの「ラス・メニーナス」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B9
Marcel Duchamp(マルセル・デュシャン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3
http://www.google.co.jp/search?q=Marcel+Duchamp&hl=ja&biw=1593&bih=831&prmd=ivnsb&source=lnms&tbm=isch&ei=5k_kTdWRM4WavAPP7YDuBg&sa=X&oi=mode_link&ct=mode&cd=2&ved=0CBEQ_AUoAQ
Kazimir Malevich(カジミール・マレーヴィチ)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&oe=Shift_JIS&q=Kazimir+Malevich&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
Charles Sanders Peirce(チャールズ・サンダース・パース)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B9
Ferdinand de Saussure(フェルディナン・ド・ソシュール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB
Noam Chomsky(ノーム・チョムスキー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC
Edmund Husserl(エトムント・フッサール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%AB
Maurice Merleau-Ponty(モーリス・メルロー=ポンティ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3
Claude Lévi-Strauss(クロード・レヴィ=ストロース)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%EF%BC%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88
Sigmund Freud(ジークムント・フロイト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%88
Carl Gustav Jung(カール・グスタフ・ユング)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
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Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7
Jean Baudrillard(ジャン・ボードリヤール)
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