Peter Zumthor
Thinking Architecture
Birkhauser

Peter Zumthor(ピーター・ズントー)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=Peter+Zumthor&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
YouTube(Peter Zumthor)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Peter+Zumthor&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.11
P.Z.:私は結合することのアート(技術、芸術)や職人や技術者の能力に対して敬意を感じる。私は如何に物事を作るかという知識に印象づけられ、それは人間のスキル(熟練、技術)の底に存在しているものである。私はこの知識に相応しくこのスキル(熟練、技術)に対しての挑戦に値する建物を設計しようとしている。
その制作者が注意深く組み立てられたオブジェクト(客体)に惜しみなく注ぎ込んだその配慮とスキル(技術)を人々が感じた時、彼らは言う「沢山のワーク(努力、仕事)がこれの中に詰め込まれた」と。私達の仕事は私達が成し遂げるものの絶対必要な(統合された)部分であるという概念は、アートのワーク(作品、作業)の価値についての、建築のワーク(作品、作業)の価値についての私達の熟考のまさに限界に私達を連れて行く。それらに私達が注ぎ込む努力とスキル(技術)は本当に私達が作る物事の本来の(固有の、内在する)部分なのか?時々私が音楽や文学あるいは絵画によって感動させられるのと同じように建築のワーク(作品、作業)によって私が感動させられる時、私はそのように考える気にならされる。

眠りの静寂の為に
P.Z.:私は音楽を愛している。モーツァルトのピアノ協奏曲やジョン・コルトレーンのバラッドのゆっくりとしたテンポ、あるいはある歌の人間の声の音はみんな私を感動させる。
メロディーやハーモニーやリズムを創り出す人間の能力は私を驚かせる。

Mozart(モーツァルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88
You Tube(モーツァルトのピアノ協奏曲)
http://jp.youtube.com/results?search_query=mozart+piano+concerto&search_type=
John Coltrane(ジョン・コルトレーン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3
You Tube(ジョン・コルトレーン)
http://jp.youtube.com/results?search_query=John+Coltrane&search_type=

P.12
P.Z.:しかし、音の世界もまたメロディーやハーモニーやリズムの反対を包含している。ディスハーモニー(不協和音)や壊されたリズムや音の断片や音結合群があり、私達がノイズ(騒音)と呼ぶ純粋に機能的な音もまた存在する。現代音楽はこのような要素とともに作用する。

→音楽のデコンストラクション(脱構築)。(井戸)

P.Z.:現代建築は現代音楽と同じくらいまさにラディカル(根本的、急進的)になるべきだ。しかし限界がある。たとえ建築のワーク(作品、作業)がディスハーモニー(不調和)と断片に、壊されたリズムに基づいたとしても、クラスター状のものや構造的な分裂はメッセージを運ぶことができるかもしれないが、私達がその言明を理解すると直ぐに、私達の好奇心は消えてしまい、残されたすべてはその建物の実用的な有用性に対する疑問である。

→コンセプト(意味のずらしや反転など)だけでつくられた建築はその意味を設計者から聞かされたその瞬間は面白いが、それがわかったとたんに実在していく建築として面白くなくなってしまうといつも感じる。それがデザインやウィットだけでつくられている建築でも同様だ。それらはメディア受けはするけど、それって本当に大事なもの(本質的なもの)を忘れているような気がする。ヘルツォーク(H&deM)はアンビギュイティー(曖昧性、両義性)を保持するのが重要だと述べ、確かに完全作品集なんかを眺めていると初期の作品やスケッチから最近の作品までそれは十分に伝わるのだが、それが何処からきているのかを知りたい。ズントーとH&deMの根本的な違いはその源泉の違いだろう。(井戸)

P.Z.:建築はそれ自身の領域を持っている。それはライフ(生活、人生)との特別なフィジカル(自然の、物質の、物理の、身体の)な関係を持っている。私はそれを主としてメッセージあるいはシンボル(象徴)として考えない、それをその中やその周りで営まれるライフ(生活、人生)の為の覆いあるいは背景として、床の上の足音のリズムの為の、仕事の集中の為の、睡眠の静寂の為の、感覚の(敏感な)器として考える。