Peter Eisenman
Ten Canonical Buildings 1950-2000

Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
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YouYube(Peter Eisenman)
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Rem Koolhaas(レム・コールハース)
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You Tube(Rem Koolhaas)
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P.202
Peter Eisenman:「ヴォイドの戦略」は彼のフランス国立図書館コンペ案(1989年)のためのコールハースの声明のタイトルだ。その中で彼は図書館をヴォリュームが切り分けられるソリッド(固体の、中まで同一物質の、連続した)なスタック(堆積)として描いた、つまり「大きなパブリックな空間は建物の不在として定義され、ヴォイドは情報のソリッドから切り分けられる」と。ヴォイドはこのようにして、建物と都市のファブリック(織物)両方への切り込みとして、ポシェ(建築図面の壁や柱などの陰影部)となる。「ヴォイドの戦略」というコールハースのタイトルをジュシュー図書館の分析へあてはめるとき、この話はプロジェクトがモダニストの先例の批評としてばかりでなく建築のサブジェクト(主体)とオブジェクト(客体)の間の関係性を再考し、そしてついには徹底的なリーディング(読解)の別のフォーム(形態、形式)を提示する手段としてヴォイドが考えられているということを論じている。

→「反転させること」も脱構築の操作子の一つだ。都市をファブリック(織物)として扱うのはコールハースの弟子のザハも同じだ。(井戸)

Peter Eisenman:コールハースはそのパリの大学のキャンパスのコンテキストの中でジュシューのプロジェクトを組み立て、その拡張は1968年5月の学生の暴動によって最初のうちは切り詰められてきたものだった。コールハースは1968年の出来事とその覚醒の中で発生した文学的で文化的な理論に大いに影響を受けていることを述べる建築家の世代に属している。これらのものはサブジェクト(主体)の人間主義的な概念と合理(理性)主義的な全体の一部としてのオブジェクト(客体)のモダニストの概念に挑戦した。ヴェンチューリやロッシやスターリングを含む、前の世代の作品は、全体としてモダニストのアイデア(考え)を批評するためにフラグメンテーション(断片化)とマテリアリティー(物質性)の戦略を使ったにも関わらず、そのフラグメント(断片)は不在の「全体」を呼び戻し、そういう意味(感覚)で、少なくとも概念の上では、伝統的な部分と全体の関係性を維持するしか役に立たない。ポスト1968年世代は、ストラクチャリスト(構造主義者)のそしてポストストラクチャリスト(ポスト構造主義者)の理論を引き出しながら、サブジェクト(主体)を見る代替方法を反映した、部分と全体の弁証法の異なったアイデア(考え)に取り組んだ。例えばジャック・ラカンの分裂したサブジェクト(主体)とその投影された/反映されたイメージの機能としての意識的なサブジェクト(主体)の発達の概念はサブジェクト(主体)/オブジェクト(客体)の関係性のコンテキストの中の部分と全体のある異なったアイデア(考え)を提案する。分裂したサブジェクト(主体)はもはや全体の断片的な部分としてみなされず、「全体性」の概念はますます擁護できないものになる。

→コールハースが特に影響を受けたのはフーコー、ドゥルーズ=ガタリ、デリダ、ラカン、ボードリヤールだろう。(井戸)

Robert Venturi(ロバート・ヴェンチューリ)
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Aldo Rossi(アルド・ロッシ)
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James Stirling(ジェームズ・スターリング)
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Peter Eisenman:コールハースのヴォイドの戦略の二番目の側面は、覗き魔の熟視を導入し、そこではヴォイド化された空間が直接的な視界を遮りおそらく隠されたエレメントを明らかにする状況を作り出すことを含む。コールハースは、彼以前のコルビジュエの様に、グラウンド(地面)の角を持ち上げている手の説教的なイメージを提示する。コールハースにとって、このイメージはサーフェス(表面)は人に順応性があり曲げやすく、それはもはや特に(本質的に)グラウンド(地面)と関係していなく、垂直の連続体に参加すると提案する。

Le Corbusier(ル・コルビジュエ)
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P.203
Peter Eisenman:より重要なことに、都市のファブリック(織物)を持ち上げる中で、そのインフラストラクチャーの隠された側面が、基礎をなす(根源的な、潜在する)オブジェクト(もの、客体)として明らかにされる。