Conversations with Mies van der Rohe
Moises Puente,editor
Princeton Architectural Press

Mies van der Rohe(ミース・ファン・デル・ローエ)
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&q=Mies%20van%20der%20Rohe&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%A8
You Tube(Mies van der Rohe)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Mies+van+der+Rohe&search_type=&aq=f

P.49
対話3

P.51
このテキストは1955年と1964年に行われた二つの編集された対話の結果である。
1964年

質問者:建築においてあなたに最初に興味を抱かせたのは何ですか?

Mies van der Rohe:私は私の父から学んだ。彼は石工だった。彼は見事な仕事をするのが好きだった。私は私の出生地であるアーヘンには大聖堂があったのを憶えている。この八角形の塔はシャルルマーニュ(カール大帝)によって建てられたものだった。違う数世紀の内に彼らはそれに何か違うことをした。バロック時代には時折彼らは全体に漆喰を塗りそれの中に装飾を作った。私が若かった頃、彼らはその漆喰を取り去った。その時彼らはさらにするお金を持っていなかった、だからあなたはリアルな石を見ることができた。それの上に何もないその古い建物や、まさに素晴らしい煉瓦積み工事や石造工事、つまり本当に明白で本当に見事な職人の技術だった建物を私が見た時、私はこれらの建物の一つにすべての他の物事を与えただろう。後に彼らは大理石で再びそれを覆ったが、それは大理石がない方がずっと印象的だと言うに違いない。

質問者:建築以外のこと、つまり音楽や絵画によってあなたの思考に影響を受けたのか?を話して。

Mies van der Rohe:ええ、後になって影響を受けたのかもしれない。しかし若かった頃はそうではなかった。私は他のアートと特別な関係を持たなかった。

質問者:読書はあなたの思考と関係がなかったのか?

Mies van der Rohe:いいえ、かなり多く関係があった。私は14歳の時に学校を出た、だから私には教養がなかった。私はある建築家のために働いていた。私が彼の事務所に来た時、彼は言った「ここに君の机がある」と。私はそれを掃除し製図をする人をのぞき見た。私がそこで見つけたことは二つのことや「Die Zukunft(未来)」と呼ばれる雑誌だった。それは週刊誌だった。それはとても面白い雑誌だった。それは一部は政治雑誌だったが、Walter Lippmanが政治について話したような方法であって、政党ものではなかった。言わばそれは文化的な雑誌だった。それは音楽についても述べていた。それは詩についても述べていた。

Walter Lippman
http://en.wikipedia.org/wiki/Walter_Lippmann

P.52
Mies van der Rohe:それは建築についても述べていたが、とてもまれにだった。そういったものが一つになったものだった。
それから私はピエール=シモン・ラプラスの理論についての別の小冊子を見つけた。それにはこれら二つの事柄があった。それ以来、私はこの雑誌「Die Zukunft(未来)」を読み始めた。私はそれを毎週日曜日の朝に買って読んだ。それから私は読書し始めた。
数年後、私がベルリンにやってきた時、私はある哲学者(注1 Alois Riehl)のために家を建てなければならなかった。それはベルリンの大学内だった。そこで私は実に多くの人々と会い、私はますます読書し始めた。この哲学者が初めて私の事務所にやって来たとき、私は自分のアパートメントに事務所を構えていたのだが、私の本は約脚の高さまで、巨大な製図板の上に置かれていて、彼は見まわしてこれらのすべての本を見た。彼は言った「頼むから、誰があなたの蔵書についてあなたにアドバイスしたか教えてくれ」と、私は言った「誰も、私は本を買い始めそれらを読み始めたんだ」と。彼はとても驚いた。彼はその中に如何なるディシプリン(秩序、学問分野)もあるいはそのようなものは何も見なかった。
その当時、私達はペーター・ベーレンス(注2)のために働いていた。ベルリンには他の建築家達がいた。Alfred Messel、彼はとても素晴らしい建築家だったが、パッラーディオ主義者あるいは何かそのようなものだった。
私は建築とは何かということに興味があった。私は誰かに「建築とは何か?」と尋ねた。しかし彼は私に答えなかった。彼は言った「まさしくそれを忘れるな、まさしく取り組め、あなたは後に自分自身でそれを見つけるだろう」と。私は言った「それは私の問いに対する素晴らしい答えだ」と。しかし、私はもっと知りたくなった。私は見つけたくなった。それが私が読書する理由であり、他には何もなかった。私は物事を見つけたかった、私は明白になりたかった。何が起こっているのか。何が私達の時代であり、それは何に関してのものなのか。さもなくば、私は理性のある(道理に合った)何かをすることができるだろうとは思わなかった。このような過程で、私は沢山読書した。私はこれらすべての本を買ってそれらに代金を支払った。私はすべてのフィールド(分野)の中でそれらを読んだ。

Pierre-Simon Laplace(ピエール=シモン・ラプラス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9
Alois Riehl
http://en.wikipedia.org/wiki/Alois_Riehl
Peter Behrens(ペーター・ベーレンス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9
Alfred Messel
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&hs=CH7&q=Alfred%20Messel&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
Andrea Palladio(アンドレーア・パッラーディオ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA