El croquis AMOMA REM KOOLHAAS 134/135

Rem Koolhaas(レム・コールハース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Rem+Koolhaas&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Rem Koolhaas)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Rem+Koolhaas&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
Beatriz Colomina(ビアトリス・コロミーナ)
http://en.wikipedia.org/wiki/Beatriz_Colomina

P.363
B.C.:それ(日記の形式)は時々そのような質を持つ。それは時々現われる。例えば、「SMLXL」では、あなたの母についてや、正確には、ミースの住宅、ミースが決して建てなかった住宅についての物語がある。あなたの執筆の中には、おそらくあなたのお気に入りの物事としてあなたがみなしている物事がある。あなたはこれを私的なことだと考えるかもしれないが、私に興味を抱かせるものは、あなたが良いと思うテキストと読者により多くの衝撃を与えるテキストとの間に関係があるかどうかということである。

R.K.:実はない。私はシンガポールについての物語に驚いた、それは私が誇りに思っているもので、一つの本の中にある本当に100ページの本であり、如何なる西洋の読者にも完全に存在していないものだ。それは如何に建築の帯域幅が狭いか、如何にグローバリゼーションの衝撃がミニマル(最小限)なのかを示している。私は建築はまだ本質的に西洋的なことばで思考されていると思う、たとえ現在でさえも、モダニゼーション(近代化、現代化)の全体のイニシアティブ(主導)は完全に非西洋の手にあるというのに。

B.C.:それでは、シンガポールの物語はまだ人々に触れていないのか?

R.K.:実際、私はあなたのアドバイスが欲しいと思う。私はそのイメージはいつも執筆から損なわれてきたと思っていて、それが何故私があなたの新しい本、あなたの本の中の言葉とイメージの間のラディカルな分裂に興味があるかという理由である。私はおそらく執筆、執筆のみについての本を作ることを考えている。著者としてのカミングアウト(世に出ること)。

Mies van der Rohe(ミース・ファン・デル・ローエ)
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&q=Mies%20van%20der%20Rohe&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%A8

P.364
B.C.:テキストからイメージを分割することは、あなたの場合、困難だ、しかし、イメージなしで執筆することはよい訓練になり得た。

R.K.:あなたはそれはイメージを無視しながら知覚を変えると思いますか?

B.C.:あなたはこの点では如何なるイメージなしでもある本を作ることができたが、「錯乱のニューヨーク」はイメージなしでは「錯乱のニューヨーク」にならなかっただろう。如何にあなたが基本的にイメージだけだったものを5年間に及びし続けたかを、あなたはまさに私に話していた。私達はこのことを共有している。イメージはしばしばリサーチするための鍵である。私は別の問いを持っている、あなたはとてもパブリックな(評判の、知れ渡っている)著者だ・・・。

R.K.:どんな風に?

B.C.:そうね、今では明らかにあなたの名声のために、あなたが執筆するものは何でも莫大な人々によって読まれる。だからあなたはプライヴェート(私人)ではないし、あなたは少ない観衆の前に立つことはほとんどありえない。あなたはこれをある束縛として感じますか?

R.K.:巨大な束縛だ、時々そんなにもほとんどむかつかせる。私は今少数の観衆のためだけに話そうとしている、なぜならさもなくば、それは完全にスペキュレイティブな(思索的な、投機的な、好奇の)テンタティブな(試験的な、ためらいがちな)コンテント(内容)とちぐはぐなスケールにあなたをまさに投げ出させる(投影させる)からだ。

B.C.:あなたの執筆はこの点ではマスメディアの状態に近づいている。事実、始まりから、ジャーナリストとして、あなたの執筆はとてもパブリック(公的)だった。あなたのジャーナリストとしての経験はあなたが執筆する方法に影響を与えましたか?

R.K.:確かに。

→コールハース著「錯乱のニューヨーク」はフーコーやドゥルーズ=ガタリの影響が顕著だ。フーコー曰く「わたしは確かに収集してひとまとめにした資料を自分の本の中でフィクションとして利用するのが好きで、信用できる典拠を使って、意図的にフィクションを構成している」。それは同時に、典拠化され制度化され慣例化された建築の「歴史」に対する(無数にある内の)一つの物語(ロゴス)の提示であり、デリダの様な脱構築的方法である。(井戸)

Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC
Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA
Pierre-Félix Guattari(ピエール=フェリックス・ガタリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%BF%E3%83%AA
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80