Oteiza’s Selected Writings
edited by Joseba Zulaika
Occasional Papers Series
University of Nevada, Reno. Center for Basque Studies

Jorge Oteiza
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You Tube (Jorge Oteiza)
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P.426
Oteizaへのインタヴュー
Yakinにて、1960年12月、インタヴュアー:Joseba Intxausti

Joseba Intxausti(以下JI):あなたのアートの考えを表現するためにあなたが用いるエレメント(要素)は何ですか?それらを定義してください。あなたはどのようにそれらを使うのか?、そしてそれらを結合させるのか?

Jorge Oteiza(以下JO):私が使うエレメント(要素)と私が作品の中で進行させる方法を接続しながら、私が言えるすべては、始めるときにあなたはあなた自身が何も身に付けていないことを確かめるために、あなたはあなたの手を開きあなたの腕を伸ばすということだ。しかしこの身振りの中で、すべてのものに対する愛情の激しい感情があり、そして不調和の感覚もあり、すべてのものをまとめ、それはあなたが変形するものよりも価値がないように思うかもしれないが、それは私の中で起こっている変形を表現し、単純に同じような変形をその作品の観察者や共にたずさわった者に起こしうる為に、おそらく人間にとって違うものであり、より大きな価値を持つであろう何かにそれを変換させたいという欲望もまたある。
創造するプロセスの中で起こる(介在する)最初のファクター(要素)あるいはグループのエレメント(要素)は、スペース(空間)と、知覚できるリアリティー(現実)の形と、マテリアル(材料)と、私が私の手で捉まえだし始める外部のテーマをともなったロケーション(場所)である。それから二番目の理想的な(観念的な)グループが参加する。それらは、コンポジション(構成)の幾何学あるいは、その中で人は生活していて、作品それ自身が私達に建築とランドスケープの中のそのインスタレーションを通して提示する意図をともなっている時間のスペシフィックな考えから引き出された構造の概念として総計(要約)される。私は空間的な存在物(実在)のこれら二つのグループをクラッシュ(衝突)させた。最初のものはリアルな(現実の)時間を主題とし、二番目のものはタイムレス(時間を超越したもの)を主題とした。

P.427
JO:結果は、抽象的な自然のマテリアル(物質、材料)であり、活力に満ちた(生命の)時間あるいは私達の内部の生活の(人生の)時間に対して彫像性を召喚し縮小するための誘惑(おとり)とて私達が使うことができる美学的に価値のある空間的な支配(領土)であり、私達の存在に関する不安の起源とアートの形而上学の(論理的な)オブジェクトである。
故に、創造への意志の秘密の親密さの中に政治的な投影の中の目に見える結末としてコミュニティーの為に解かれる救済の為の宗教上の熱意がある。

JI:自然とあなたのアートの間の関係は何ですか?それは単純に自然なしで前進するのですか?あるいはあなたのアートは自然に対して公然と敵対しているのですか?あるいはあなたはおそらく自然にアプローチしようとしているのですか?どちらのケースでも、何故でキか?

JO:私が持っているものは自然であり、私に欠けていないものも自然である。私は自分自身を形而上学の労働者と呼ぶ。私は自然と向かい合って飛ぶ。私は自然を超越する。