Herzog & de Meuron, 1997-2001: The Complete Works 4
Birkhauser

Herzog & de Meuron(ヘルツォーグ・アンド・ド・ムロン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Herzog+%26+de+Meuron&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Herzog & de Meuron)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Herzog+%26+de+Meuron&search=%3F%3F

P.221
ガダマーの床
Jacques Herzog

Jacques Herzog:数年前、パリのジョルジュ・ポンピドゥー・センターが模型や図面や写真のような伝統的な建築のオブジェクト(もの)よりも新しいメディア(媒体)にスポットをあてて扱おうとする建築の展覧会について考える小さなグループの建築家達が招待された。財源の不足によるその展覧会の結果として起こった中止にも関わらず、私達は既に異なった分野で異なった世代の4人にインタヴューし、彼らにとても基本的な問いかけである「建築とは何か?」を尋ねるというアイデア(考え)に基づいたコンセプトを発展させ始めていた。異なった人々の中で、私達は子供に尋ねたかったし、私達はアーティストに尋ねたかったし、私達はまた哲学者とも話したかった。
私達の哲学的なインタヴューは、4年前に行われたのだが、その当時96歳のハンス=ゲオルク・ガダマーとのもので、彼はマルティン・ハイデッガーの下で勉強し、20世紀のドイツ哲学の偉大な人物の一人になった。このインタヴューは特に興味深かった、なぜならガダマーの言葉はまるで別の時間や世界や、建築がそれについての一種の損じていない質と今では失われてしまったリアル(現実)のセンス(感覚、意味)を持っていた時代からのものの様に響いたからだ。私達はガダマーに彼が建築がどのようになると見ているかを最も一般的なことばで、如何なる特定の建築の作品を参照することなくことばで述べるよう頼んだ。彼の応答の中で、彼は如何なる理論的な説明を提示しなかったが、その代わりとして私達に彼の子供時代からのヴロツワフの町で育った物語を話した。
彼の両親の家では、それはその町のGründerzeitの中産階級の大邸宅の一つだったが、フォーマルな応接間には素晴らしい寄せ木張りの床があり、それは(若かりし頃のハンス=ゲオルクも含む)子供達がクリスマスの様な特別なできごとを除いては入ることが許されなかった場所だった。

Hans-Georg Gadamer(ハンス=ゲオルク・ガダマー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%BC
Martin Heidegger(マルティン・ハイデッガー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AC%E3%83%BC
Gründerzeit
http://en.wikipedia.org/wiki/Gr%C3%BCnderzeit

P.222
Jacques Herzog:このむき出しの床の上にあるピアノとビリヤードのテーブルについて述べながら、ガダマーはこのサーフェス(表面)を何か不思議な(魔法的な)もの(素晴らしい木の床で、無傷のままよく保たれ磨き上げられ、だからそれはワックスの匂いでその空間を満たしていた)の様に話した。時々彼の父の友人が訪れ、ヴロツワフはしばしば雨が降ったから、彼は彼の雨のしたたっているレインコートと傘を携えながら入ってきた。その男は、彼の父の様に、大学で教授をしていて、彼自身の考えに熱中しているのをいつもアピールしていて、禁じられた部屋に入る時は、いつも彼のコートとずぶぬれの傘を不思議な(魔法的な)床の上にまさしく置いた。子供として、ハンス=ゲオルクは彼の父の友人がそのようなことをするのにぞっとした。彼はまだ鮮明にびしょぬれの傘の水滴で装飾を施された磨かれた木の床のイメージを憶えている。
私はしばしばそのリアル(現実)のアイデア(考え)のためにガダマーの床について考える。ガダマーの床はもはや存在しないリアリティー(現実性)の概念を述べていて、その床自身の職人的で伝統的な背景はかなりの時間失われてしまったが、このサーフェス(表面)をそれだけ興味深くしているものは、その今日への建築的な潜在能力である。このセンス(意味、感覚)で、ガダマーの床は、物質性や引力(重力)や持続へのその強調と、床としての床の上のその焦点の中にあるとても力強いデザイン戦略のための象徴となることができる。