Donald Judd Colorist
Hatje Cantz Publishers

Donald Judd(ドナルド・ジャッド)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=Donald+Judd&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%89
美術家の言葉(ドナルド・ジャッド)
http://www.b-sou.com/palw-Judd.htm
You Tube(Donald Judd)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Donald+Judd&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

Some aspects of color in general and red and black in particular(1993)
Donald Judd

→このテキストはDonald Judd Edited by Nicholas Serota D.A.P./Distributed Art Publishers,Inc.にも所収されています。括弧内にその頁を記します。(井戸)

P.100(P.153)
Donald Judd:その時までそれは完全に不活性だろう、だから何も為されえず何も為されることを想像されえもしない。誰も文明がないと悟らないだろう。例によって、文明はその崩壊によってひとつではないということを確信するだろう。何故すべてのものが商業(商売、広告)的であるべきなのか?まさに存在すること、それだけで十分であり、文明化されることを前提とはしていない。そして再び問う、商業(商売、広告)的とは何を意味するのか?それは広い領域(射程)を持っている。私が言ったように、Oudはファン・ドゥースブルグに対して、彼は実際的であった、彼は状況の中で建てられるもの、つまり近隣(隣人達)の一部を建てていた、と論じていた。これは実際的ではなく、むしろ慣習的(伝統的、月並み)だ。近隣(隣人)の判断(良識、批判)は乏しい知に基づいていて、彼らの狭い(限られた)時(時代)と場所や、特にその社会の中のステータス(身分、状態)のアイデア(考え)や、その狭さ(制限、偏狭)の一部によって決定され、それはこの時代の最も際立った神話だ。

P.100(P.154)
Donald Judd:兎に角、近隣(隣人達)の無知は、殆ど裕福でない人から、今アメリカで中産階級と呼ばれるくらいの富裕層ではなく、アメリカでもっと底辺の、たった千語しか知らなくて読めない人々の層までの広い領域(射程)を持っている。アートと建築はある階級の為あるいは各々の階級の為に作られるべきなのか?近隣(隣人達)は、彼ら自身の中のビジネスによって利用(搾取)されたテイスト(好み、嗜好)を奇妙に世界中で形作ってきた。テキサス西部の近くのある町は、よく修復された米陸軍の駐屯地があるが、時々滞在する観光客によって訪れられる。そこにはすべての階級があり、彼らの乏しくて感情的な知が彼らにオールドウェスト(西部開拓時代の西部地域)の町がどのように見えるべきかを考えさせるものへと、彼らはゆっくりとその町を作り直す。彼らは促進(助長、励ま)されるべきだろうか?もしアーティスト達と建築家達の知が、科学や、とてもゆっくり成長する多数の大衆の知だけについて疑われて、もしそれが成長し、階級によって階級が狭め(制限)られ、それによって行動されるべきであるのならば、リアルな(現実の)文明が発達するまで数百年かかるだろうし、そうとすれば、なぜなら、近隣(隣人達)のテイスト(嗜好、好み)に従って、商業(交渉、交際)は世界の中のすべてのものとそのうえ人々をデザインしてきてしまっただろうからだ。クリントン大統領は最近言った、「あなたは国全体の振る舞いを変えなければならない。人々は彼らの生活を変えなければならない」と。
 フランク・ロイド・ライトは、眺めのよい家は山(丘)の頂上ではなくて、山(丘)の頂上よりも下に、風を避けて、そのランドスケープの中で慎み深いことを第一原理として建てられるべきであると書いていた。同じ様なアドバイス(助言)が色にもあてはまる。トスカナ州の様に、新しく空虚な土地、よく耕された土地において、そして視覚的に惨めに近づきつつある郊外の土地においてでも、おしつけがましい(突出した)建物を構築することはよくない。

→フーコーやバルトの影響だろう。元々は哲学を専攻していて、ミニマル・アートと呼ばれることを嫌っていたジャッドは、作家という主体や、作品が何かを表わす(指示する、意味する)ことを剥奪する為に幾何学や数列等を使ったのではないか。ロラン・バルトの様に。作品の知覚はアートを体験する上で欠かせないので、そのバリエーションや様々な色の検討を通して、知覚の変容、可能性を試し続けたのではないか。意味や価値や機能とは無関係の形而上の道具(幾何学、数列)によって、形而下の感覚を解き放つこと。(井戸)

Theo van Doesburg(テオ・ファン・ドゥースブルグ)
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J.J.P.Oud
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&source=hp&q=J.J.P.Oud&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
Frank Lloyd Wright(フランク・ロイド・ライト)
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&q=Frank%20Lloyd%20Wright&rlz=1B7GGLL_jaJP393JP393&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88