El croquis 140
Alvaro Siza 2001-2008

Alvaro Siza(アルヴァロ・シザ)
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You Tube(Alvaro Siza)
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P.13
Juan Domingo Santos:あなたはデザイン(設計)している時、どうやら明らかに問題に対して極度に晴朗で(澄み渡っていて、落ち着いていて)明白で直接的なアプローチを持っているようだ。あなたはどのようにして創造の不安をうまく対処しているのですか、そしてあなたは各々のプロジェクトでどんなリスクをとるのですか?

Alvaro Siza:あなたが「明らかに」と言うのは、確かに正しい。私の場合は、各々のプロジェクトは新しいリスク、つまりrisco(ポルトガル語で、riscoはリスクと同様にsketch(スケッチ)を意味する)である。私はプロジェクトをデザイン(設計)することはリスクを受け入れることを意味すると思う、特にそれは、あなたが態度を問題に採用しなければならなくてすべての可能性を越えて行くことを意味するそれだけ多くの機会や情報ややりとり(交換)があるからだ。各々のプロジェクトの始まりには、私はいつも以前と同じか、あるいはおそらく以前以上の不安の感覚を持っている。私は問題に直面し恐れの感覚によって圧倒され、私は苦難に満ちたプロセスの後のあの晴朗な特別な瞬間へ辿り着くまで私の行く手にある長い道のりについて考える。先ず最初に私は私の探究とある問題についての不安を反映した多くのスケッチをする。プロジェクトの困難の一つの兆しは、私が正しい(適切な)道を見つけるまでに私が生み出さなければならない草案スケッチの数である。それらのドローイングはワーク(作業、作品)の可能な線を提案(暗示)するが、正しい(適切な)解決(解釈)へのスケッチの中の私の不安もまた提示(暗示)する。私は時々私のノートのページというページを可能な選択肢(代案)のスケッチで満たす。それは私がバランスに到達するまでの強迫観念になる。私はその内部の不安を外に向かって示さないよう、あるいは他の人に気付かせないように努める。グループの作業はあの落胆を乗り越え周囲を取り巻くもの(環境)に作用するより多くの晴朗さ(うららかさ、澄み渡り、落ち着き)を成し遂げるある程度の晴朗(落ち着き)や集中や信頼を要求する。後に、それは編み物の様だ。つまりもしあなたがその目的と独特のやり方と脈略に取り組めば、すべてのことがそれ自身の調和より前進する。

Juan Domingo Santos:何故幾つかのプロジェクトは他のものよりも容易に形をなすのか?それはあなたがより広い論点によって影響を受けたものの方がただプログラムだけに影響を受けた他のものよりもより興味深いということを発見したということですか?

Alvaro Siza:それは確かに真実だ。最も容易に生まれるプロジェクトは殆どいつも原点においてより多くの支えるポイントや、さらにより良く、どんなタイプ(類型)でも持っているものである。例えば、私は歴史的地区の中で実にくつろいで働いていて、そこではそれだけ多くの思いつきやコンディション(状況、気分、条件、規定)がある。コンディション(状況、気分、条件、規定)はあなたが建築を生み出す時に本質的な道具である。つまりもしそれらが存在しなかったなら、あなたは私達が以前に話した脈略を発見するまで幾らか道に迷う。私がリスボンの1988年のエキスポのポルトガル・パビリオンに取り組んでいた時、マスタープランが実にスキマティック(概略的、図解的)で、それは私達にしっくりいくにはかなりの目標に対する実際の開きを与えたので、初期の段階は極端に困難だった。マスタープランが発展されていた間、各々の建築家はその設定の共通の論点に気付く事なしに異なるプロジェクトに取り組んでいた。それはまた本当に少しの定義しか持たないプログラムを伴った状態でもあった。ポルトガル・パビリオンは代表する(象徴する、典型的な)建物にならなければならなかったが、私達はそれが後で何の為に使われるのか知らなったし、悲しいことに私達はまだ知らない。建物の普通の生涯にとって最も悪いことは構想されたプログラムを持たないことであり、その運命(必然性)を知らないままそれを建てることである。