Archi Review 第11回
ピーター・アイゼンマン「住宅第1号」
2004年1月25日 井戸健治
1、建築における形態とは?
「機能主義」→実際「インターナショナル・スタイル」においても形態は機能から決まっているのではない。「機能主義」を象徴できる形態が選ばれる。なぜなら、どんな形態でも機能を満たすことができる。機能に対して最適な形態など選択できない。社会的、政治的、文化的、美的、経済的要因が大きい。それでは、建築の形態はそれ自身で構成できるのか?もちろん、そこには計画「主体」の建築家とそういう目をもった「観察者」を通して知覚される構造だが。
2、 住宅第1号→建築(形態)を機能的根拠や、美的根拠から分離し形態のみの論理でつくる。
「カードボード」物理的実在性の排除
「白い壁」ロースやコルビジュエ→「論争挑発性」のために白い壁面を使用→固有の意味が存在する
住宅1号では「抽象的で無彩色平面による空間の概念」へ「白」の意味を変換する。
構造的要素(柱・梁)の構造的意味の排除→柱・梁は支持部材ではなく「要素」となる。
伝統的意味が排除された「要素」の新しい意味への関心から「要素」どうしの形態「構造」(関係?)へ意識を移行させる。
形態「構造」は観察者に特定されない(二重によめるように)「要素」は配置される。一見でたらめ。
一つは建物正面からの仮想上の平行な層、もう一つは建物対角線上に仮想される連続する空間
「深層構造」→形態から想像される概念上の構成、その変形や重ねあわせですべての空間は読み解く事ができるという事。←コーリン・ロウが「理想的ヴィラの数学」で示した概念上の空間の見方
住宅第2号
→壁の構造システムと柱の構造システムの重複(機能的には一方だけで十分。)重複からの記号化。
住宅第3号
→記号の作成から記号の読み取りへの関心へ、しかし読み取りを困難にすることで観察者から知覚を引き離すのを目的とする。グリッドの交差
住宅第4号
→施主・機能ばかりでなく建築家もなくする。平面・立体・線に規則にしたがってゲームをさせる。  
→しかしその秩序は人間「建築家」が決めたものであることに気付く。住宅第6号へ
住宅第5号
→5号から全体的統一に対する自己批判が始まる。
住宅第6号
→トランスフォーメーション(変形)過程それぞれが最終結果とする。映画のフィルムのように。
トポロジー(位相幾何学)的反転→階段の反転、中心性
住宅第8号
 
住宅第10号
→これまでのトランスフォーメーションではなくディコンポジション
形態操作一手一手が前の一手の逆の作用に働くようにすること。一手前の操作の打ち消し。
住宅第11号a→トポロジー幾何学
3、 建築と言語の構造的組立の連想
a、 文字から単語をつくる。構成要素の文字には意味がない。建築の形態要素から「意味」は剥奪する操作をし、記号とする。その記号どうしの関係から全体を構築する。→カードボード・アーキテクチュアー
b、 単語から文章をつくる。構成要素の単語(記号)には意味があり、文章にも意味がある。→普通の建築 単語の選択や文章の構成→プロポーション、寸法、スケール、テクスチュア、色彩、光の構成にあたる。感覚優先の形態決定。
c、 単語から「単語の集合体」をつくる。構成要素の単語に本来あるはずの意味が「集合体」の関係の中で、剥奪あるは変更される。→所謂ポストモダン建築
建築の場合は言語のような要素自体の共通認識はない。
→コーリン・ロウ的空間の読解能力が前提となる。
視覚をとおした知的空間把握→他の触覚は意識されていない。感覚優先の形態決定を排除するため。
4、コンセプチュアル・アーキテクチュアー1・2・3
コンセプチュアル・アートは実在を必要としない。
コンセプチュアル・アーキテクチュアーは実在で、実用的・機能的な部分をコンセプチュアル(知的)な次元の中に存在させること。オブジェクト自体がコンセプチュアルになりうる。
「表層構造」と「深層構造」
建築を頭で考えるとき、ある空間を基本となる形態の変形とみなす思考構造
5、 現代アートとの関係
・ ソル・ルウィット←グリッド・格子
・ マイケル・ハイザー←掘り込み
・ ロバート・モリス、ドナルド・ジャッド←Lビーム、オブジェクトから意味を剥奪する
・ ゴードン・マッタ・クラーク←住宅への切り込み
6、 コーリン・ロウ
「理想的ヴィラの数学」→数学的空間の認知とその空間の解体を同時に合わせ持つ「曖昧性」
「透明性―虚と実」→「実の透明性」ガラスなどの物質的な透明性
          「虚の透明性」観念上のあいまいな層状の重なり合い
7、 ジュゼッペ・テラーニの研究
カサ・デル・ファッショ
→人間中心的な合理性(機能)やマッスとしての空間ではなく、比例、数学的合理性の連続(スケールを越えた根拠の連続)→フラクタル
ジュリアーニ・フリジェーリオ集合住宅
→基本的には数学的合理性での構成だが、その合理性が不連続(例えば各立面の構成が全然違う。)
→観察者によって「深層構造」ではいかようにも読める。
純粋建築←数学的秩序による