Robert Smithson:The Collected Writings
Edited by Jack Flam
University of California Press

Robert Smithson(ロバート・スミッソン)
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美術家の言葉(ロバート・スミッソン)
http://www.b-sou.com/palw-Smithson.htm
YouTube(Robert Smithson)
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Michael Heizer(マイケル・ハイザー)
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Dennis Oppenheim(デニス・オッペンハイム)
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P.248
LB:あなた方の考古学的発掘の知識はあなた方の作品に含みのある何かをもたらせましたか?

MH:それは私の想像力に影響してきただろう。なぜなら私は技術的な掘削を記録しながらいくらかの時間を過ごしてきたからだ。私の作品は私自身の経験と密接に関係付けられている。例えば、土との私の個人的な関わり合いは本当にリアルな(偽りのない)ものである。私は本当にそれが好きだし、私は本当に土の中にいる(横たわる)のが好きだ。私は農家の感覚・・・の中のそれと近いとは感じない。そして私は技術的なもの、それは困難だったが、の限界を越えてきた。それは正統的なアートの変遷ではなくて心理学的に重要だった、なぜなら私が今大地と共にしている作品はいくつかのとても基本的な欲望を満たすからである。

LB:それじゃあなた方は本当にそれをしていて幸せなんですね?

MH:そうだ。私は如何なる感覚(意味)においても純粋主義者ではないし、もし私がボブ(ロバート・スミッソン)あるいはデニス(・オッペンハイム)の作品に完全に興味があるとしても、それは私がその中に私自身のものと同じただ一つの理想からのある種の相違(分岐、逸脱)を感じるからである。それがなぜ私がアース・アートはとてもプライベート(私的)なものであるかと早くに言った理由である。そして勿論、私は全然スタイル(型、様式、流行)には全然関心がない。

RS:私達の殆どは地質学的規模での時間に、マター(物事、実体、物質)を彫刻することへ入って行ったかなり広大な時間に本当に気付いていると私は思っている。アンソニー・カロを取り上げると、彼は世界のエデンの園の眺めの為に、あるノスタルジア(懐旧の念)を表現する、ところがそこは私が思うに数百万年の間、人間が存在しなかった時間を含んでいる。アンソニー・カロは決して彼の作品が立つ地面について考えなかった。事実、私は彼の作品を人間中心のキュビズムだと見ている。彼は実にひどいオブジェクト(客体)をまだ発見しなけらばならない。だからそれから離れなければならない。彼は行くべき長い道のりを背負っている。

→アンソニー・カロの作品は擬人的で緊張感がなくオブジェクト(客体)だけで完結していて感覚的にも意味的にも広がりがないのでそんなに好きではないなあと感じていたが、スミッソンが言う理由はいまいちまだよくわからない。(井戸)

Anthony Caro(アンソニー・カロ)
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cubism(キュビズム)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%93%E3%82%B9%E3%83%A0
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DO:地質学的プロセスの、とてもゆるやかな物質的な変化のこの自覚(意識)は明確な(肯定的な、現実的な)未来であり、いくつかのより重要なアース・ワークの美的(美学的)特徴でさえあると私には思える。

RS:それは不確定性のアートである。なぜなら一般的に不安定性はとても重要になってきたからだ。だから母なる大地へ帰ることはまさに古代の情緒の復興である。これを越えた如何なる種類の理解も本質的にうわべだけの(人為的な、偽りの)ものである。

→ピーター・ズントーが「Thinking Architecture」の中でヨゼフ・ボイスやアルテ・ポーヴェラの作品のマテリアルの使用について古代にイカリをおろした感覚と言っていたのを思い出す。(井戸)

LB:地質学的思考はあなた方の美学において重要な役割を果たすように思いますか?

RS:私達は科学に対してアピールしているとは私は全然思わない。科学が何かプライオリティー(何かよりも重要なこと、優先権)を持っているに違いないという理由はない。

MH:科学の理論はまさになお私が関係していることよりもずっと不思議なものであり得る。私はそれらのどれにも一致しない。

LB:あなた方はそれらをフィクション(虚構、でっちあげ)だと見ていますか?

RS:そうだ。

MH:はい。もし私達が心の中に何か目標(客観的なもの)も持っているのならそれは科学に取って代わるためであると私は考えている?