Donald Judd
Architecture
Hatje Cantz

Donald Judd(ドナルド・ジャッド)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=Donald+Judd&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%89
美術家の言葉(ドナルド・ジャッド)
http://www.b-sou.com/palw-Judd.htm
You Tube(Donald Judd)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Donald+Judd&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

→大島さん(故大島哲蔵氏)が訳されギャラリーヤマグチの山口さんが発行されたドナルド・ジャッドの「建築」のP.103~104、P.118~124、P.130~P.144に「アートと建築」の一部(おそらく)が所収されていますが、読んでみたいと思います。(井戸)

ドナルド・ジャッド「建築」訳:大島哲蔵
http://www.g-yamaguchi.com/artists/judd/archbook/judd.book.html

P.24
Art and Architecture(アートと建築)
Donald Judd

Donald Judd:私は、今は少しばかり改善されているが、1983年9月20日にアートと建築のイエール・スクールのコンクリートのオーディトリアムの中で次に続く文書を読んだ。それは私の考えのいくらかをコミュニケイティブ(伝達可能)なものにするビギニング(起源)だ。そのアイデア(考え、理想)に関して、ビギニングがどこにあるかを知ることは難しい。ヴィトゲンシュタイン、彼は今まで引用するにはあまりにもシック(上品、粋、あかぬけし)過ぎたが、私が引用しようと思う人だ。彼は言う、「ビギニングを見つけることはとても困難だ。もっと良く言えば、ビギニングから始めることは困難だが、さらにずっとさかのぼろうとすることは困難ではない」と。私はこの文書を書いている間にうすうす気付いて、今となって悟った、私が書いていたことは、最初や最後のプリンシパル(原理、原則)についてよりも、アートを作るプロセスであり、それは日常のありふれたものから、後により謙虚な(控えめな、適度の)ものが入る(満ちてくる)べきものであると。この文書よりも長い議論のビギニングとサブスタンス(物質、内容、本質)はアートを作るプロセスの一部だろうし、それは無視されていると私は思う。美学者達はプロセスと結果から結論を引き出そうとしているが、私にとってはプロセスは最初のプライマリー(第一、本来、基本)であり、そういう意味では、結論である。哲学者達はア・プリオリな(先験的な、論理に基づいた)結論に向かって後退して帰納的に前進している(手続きをとっている)。私はエンド(結果、目的)からア・ポステリオリな(後天的な、経験に基づいた)結論へのプロセスのビギニングへ向かって進みたい。プロセスはビギニングであるが、そのビギニングはいつも後ろ向きに歩みを進める、だから単純なビギニングよりも、そのビギニングはビギニングへの探究である。

Wittgenstein(ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%88%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3