Richard Serra
The Matter of Time
Steidl

Richard Serra(リチャード・セラ)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Richard+Serra&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
YouTube(Richard Serra)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Richard+Serra&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
美術家の言葉(リチャード・セラ)
http://www.b-sou.com/palw-Serra.htm

P.43
Richard Serra:私が目指したモデル(手本)は建物のマテリアル(材料)として鉄の可能性(潜在性)を探究した人々であり、エッフェルや、ローブリングや、マヤールや、ミース・ファン・デル・ローエだった。私が鉄で建てることを選んでからは、最も重要で(意味があり)、最も発明的であり(創意に富み)、最も経済的(実利的)な方法でそのマテリアルを扱った人を知る事は必要だった。

Gustave Eiffel
http://en.wikipedia.org/wiki/Gustave_Eiffel
John Augustus Roebling
http://en.wikipedia.org/wiki/John_A._Roebling
Robert Maillart
http://www.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&rlz=1B7GGLL_jaJP393JP393&tbs=isch%3A1&sa=1&q=Robert+Maillart&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=
Mies van der Rohe
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&q=Mies%20van%20der%20Rohe&rlz=1B7GGLL_jaJP393JP393&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi

Richard Serra:私の作品すべての中で、コンストラクション(構築)プロセスは明かされている。マテリアルの、フォーマル(形式、形態)の、コンテキスト(文脈)の決断は自明である。技術的なプロセスが明かされている事実は、彫刻家のクラフト(技能、職業、悪知恵)の理想化を非人間化(没個性化、機械化、客観化)し神話的要素を取り除く。作品は「マスター(支配権を持つ人、自由に駆使しうる人、名匠)」のフィクション的な領域(界)へは入っていかない。私はまさしく直ぐにその作品を誰かのインスピレーションに有効な様にしたい。その真意を明らかにするもの(しるし、徴候)はそのコンテント(内容、意味)の一部になることができる。それはコンテント(内容、意味)であるというわけではないが、それは私の作品のそういう側面を扱いたい誰かには認識できる。私の作品は如何なる深遠な(奥義に達した少数の人に向けられた、難解な)自己-参照性を意味しない。それらのコンストラクション(構築)はあなたをそれらのストラクチャー(構造)へ導き、アーティストのペルソナ(表面的社会的人物像)を言及(参照)しない。しかしながら、あなたが作品をミュージアムの中に置くやいなや、そのラベル(レッテル)は最初に作者を指し示す。観覧者は「the hand(手、人、手跡、署名、支配、力)」を受け入れることを要求される。それは誰の作品なのか?。たとえそれが含意されていないところでも、ミュージアムの制度(慣例)は必ず自己-参照性を創り出す。どのように作品が作用するかという問いは要求されない。作品が意図する(意味する)かもしれない如何なる種類の分裂も覆い隠される。自己-参照性の問題は、いったん作品がパブリックな領域に入れば、存在しない。どのように作品が与えられたサイト(場所)を改変しているかが論点であり、作者のペルソナ(表面的社会的人物像)が論点ではない。

P.44
Richard Serra:いったん作品がパブリックな空間に建設されると、それらは他の人々(他者)の関心事になる。それらの暗に示された価値とあからさまな価値によって、彼らは彼らが排除するものによって批判的になる。彼らは彼らが無視するものに批判的になり、他の作品や自分達のコンテキスト(文脈)で判断を下す。ものごとそれ自身の本来備わっている質よりも、コンテキスト(文脈)の中のものごとの間の新しい関係性の出現は、いつも新しい意味(効力)や、新しい観察(注目、判断、言説)や、新しい見方を生じさせる。コンテキスト(文脈)が再定義される。

→ロラン・バルトの「作者の死」参照。ペルソナ(表面的社会的人物像)についてはユング参照。人は排除するものによって批判的になるというのはフーコーの影響か?(井戸)

Kazimir Malevich(カジミール・マレーヴィチ)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&oe=Shift_JIS&q=Kazimir+Malevich&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
Edmund Husserl(エトムント・フッサール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%AB
Maurice Merleau-Ponty(モーリス・メルロー=ポンティ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3
Claude Lévi-Strauss(クロード・レヴィ=ストロース)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%EF%BC%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88
Carl Gustav Jung(カール・グスタフ・ユング)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC