In Girum Imus Nocte et Consumimur Igni
-The Situationist International 1957-1972
Jrp/Ringier

Constant Nieuwenhuys(コンスタン・ニウヴェンホイス)
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&um=1&hl=ja&lr=&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Constant+Nieuwenhuys&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5
http://en.wikipedia.org/wiki/Constant_Nieuwenhuys
New Babylon(ニュー・バビロン)
http://www.digischool.nl/ckv1/studiew/destad/constant/babylon.htm
http://fr.wikipedia.org/wiki/New_Babylon

→コールハースがハーグ・ポストの記者をしていた時のコンスタンへのインタヴュー。(井戸)

Rem Koolhaas(レム・コールハース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Rem+Koolhaas&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Rem Koolhaas)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Rem+Koolhaas&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.101
CONSTANT:もしあなたがあなたの仕事の為に同じ場所に居なくてもよければ、ハウジング(住宅供給)はとても疑わしいものになるだろう、交通は歩き回るという手段のみであり、仕事はオートメーション(自動化)とともに存在しなくなり、リクリエーション(休養、娯楽)もなくなるだろう、なぜならそれは仕事の後で休養することであり、リラックスすることだからだ。完全に機能的な都市は異議を唱えられるだろう。建築家達が今生み出しているすべての計画は、Van de Broek & BakemaによるPamps計画も含むのだが、みんな仕事の状況に基づいている。

HAAGSE POST:「ニュー・バビロン」の管理(執行、行政)をどのように見ていますか?

CONSTANT:私の「ニュー・バビロン」の本へのモットー(標語)の為に私は彼自身のことをジプシーの世界コミュニティー(共同体、団体)の議長(委員長)と呼ぶジプシーからの引用を使った。彼は言った「私達は自由な世界、そこではあなたは自由に南アフリカの高原からフィンランドの森までや大西洋岸からシベリアのステップまで横断することができる如何なる境界線も受け入れない世界の象徴だから私達は世界の中で役に立つ機能(役目)を果たす」と。
このように「国」の概念は、それが存在(実在、実存)の為の奮闘から、集団の間の競争から、財産(所有物)を守ることから完全に引き出される(論理的に導かれる)様に、完全に不適切(見当違い)である。私達が世界のエコノミー(節約、経済、理法)を成し遂げてしまった時、そしてそれが避けられない時、国はそれ自身の合意(調和、協定)によって排除されるだろう。
ベトナム戦争や、ロシアと中国の対立や、アメリカと中国の対立、つまり世界市場の為のすべての戦いや、それらの国々が消費者を存続させる為に他の国々を下にしておく為のより生産的で、より産業的な国々の為の奮闘。
消費者がまた同じく生産し始めた時、生産者はその特権的地位を失う。しかしその戦いは必然的に世界全体の産業化で終わるだろうし、それは莫大な過剰(黒字)があるだろうことを意味している。

HAAGSE POST:その時「ニュー・バビロン」の為の時が来るのだろう。その時世界全体にそれは広がっているだろうか?

CONSTANT:はい、実際に。セクターのネットワークそれは世界中に広がっているだろう。私は一種のハブや、その円形のフォーム(形態、形式)としての都市を、マップ(地図)の上の一種の赤いマークとしての都市を完全に放棄した。私はとても開けた構造を考えている、完全に相互に連結されていて、だからあなたはそれを通って移動することができるが、それの中に組み込まれたすべての残存しているランドスケープの小片をともなっている。

HAAGSE POST:ネット(ゴール)の中のサッカーボールの様に…。

CONSTANT:はい、地球のまわりのネットだ。そしてライフ(生活)はそのメッシュの中で最後まで演じられる。すべての人の為のライフ(生活)、特にプロレタリアの為のライフ(生活)、彼らは最終的にチャンスが与えられるだろう。彼らは如何なる種類の文化の中でもシェア(分け前、割当、役割、参加、貢献、出資)を決して得た事がなかったし、彼らはそれゆえ文化的な伝統(慣例)にしがみつかないだろう。それは完全に論理的(必然)だ。

→コンスタンはやはり時代的にもマルクス主義的で少しついていけないところがある、一方でそのアナーキズムはラビリンス的な空間(都市)形成と相補的である。しかしそれはモダニズム(機能主義)に対する「反」手法であって弁証法的(ヘーゲル-マルクス)だ。それに対してコールハースは構造主義やポスト構造主義を道具として利用し、形態的にはコンスタンの影響が大きいが、相補的な形態形成手続き(思想)はモダニズム(機能主義)に対する脱構築である。若き日にコールハースはコンスタンのマルクス主義をどの様に感じていたのだろう。それはこの本にもフーコーの写真やボードリヤールのテキストが掲載されている様に、フーコーやボードリヤールのマルクス解釈が参考になるかもしれない。(井戸)

International Situationist
http://www.cddc.vt.edu/sionline/
Guy Debord(ギー・ドゥボール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
Karl Heinrich Marx(カール・ハインリヒ・マルクス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9
Henri Lefebvre(アンリ・ルフェーヴル)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%AB
Johan Huizinga(ヨハン・ホイジンガ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AC
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC
Jean Baudrillard(ジャン・ボードリヤール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%AB
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80