Peter Zumthor
Thinking Architecture
Birkhauser
Peter Zumthor(ピーター・ズントー)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=Peter+Zumthor&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
YouTube(Peter Zumthor)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Peter+Zumthor&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
→以前に一度読みましたが、再度読みます。今度はもっとじっくりゆっくり読んでいこうと思います。(井戸)
P.7
ものを見る方法
失われた建築(の記憶)をたどる中で
Peter Zumthor(以下P.Z.):私が建築について考える時、イメージが心に浮ぶ。これらのイメージの多くは私の建築家としての訓練や仕事と結びつけられる。それらは年を越えて私が集めてきた建築についての職業上の知識を含んでいる。いくつかの他のイメージは私の幼年時代と関係している。私が建築について考えることなしに建築を経験した時があった。私は心の中で一つの特別なドアハンドル、スプーンの裏側のような形をした金属のピースをほぼ感じることができる。
私が私のおばの庭に行った時私はそれをよく握ったものだ。そのドアハンドルはまだ私には異なった雰囲気や匂いの世界へ入っていく特別なサインのように思われた。私は私の足の下の砂利の音や、ワックス(蝋)が塗られたオーク(どんぐりのなる木)の階段のやわらかいかすかなきらめきを憶えていて、私が暗い廊下に歩いていくと私の後ろで重い玄関ドアが閉まるのを聞くことができ、キッチンに入るとその家の中で唯一の本当に明るく部屋が照らされていた。
後ろを振り返ると、それはまるでこれが天井が薄明かりに中へ消えていってしまわないその家の中の唯一の部屋であるかのように思えた。床の小さな六角形のタイルは、深紅であまりにぴったりと一緒にされているのでそれらの隙間が殆どわずかであり、私の足の下では固くて硬く、油性ペイントの匂いがキッチンの食器棚から出ていた。
このキッチンについてのすべてのことは伝統的なキッチンでは典型的であった。それについて特別なことはなにもない。しかしおそらく、それはそんなにとても素晴らしくそんなにとても自然なキッチンなので私の心に永久にその記憶を刻んでいるということはまさに事実だった。この部屋の雰囲気は説明できないがキッチンに対する私の考えと繋がっている。
P.8
P.Z.:今私は続いているように感じていて、私のおばの庭の門のハンドル後に来るドアハンドルについてや、地面や床についてや、太陽に暖められた柔らかいアスファルトについてや、秋に栗の木の落ち葉で覆われた敷石についてや、ひとつはどっしりしていて威厳があり、もう一つは細く安物のカタカタ音のする、他は固く、無情で、威圧的な・・・そのように異なった方法で閉じられるすべてのドアについて話しているように感じる。
これらのような記憶は私が知る最も深い建築的経験を含んでいる。それらは建築的雰囲気の蓄積であり、私が建築家として私の作品の中で探究しているイメージである。
私が建物を設計するとき、私はしばしば私自身が古く半分忘れてしまった記憶にふけっているのに気付き、それから私はその思い出された建築的状況が本当にどのようなものだったのか、その当時私にとって何が意味があったのかを思い出そうとし、震える(ぞくぞくする)雰囲気が、ものごとの単純なプレゼンス(存在、現前性)によって全面的に広がり(浸透し)、そしてそこではすべてものがそれ自身のスペシフィックな場所と形を持っているということをよみがえらせるためにそれがどのように今私を助けうるのか、私は考えようとする。そして私はいかなる特別な形もなぞることはできないとはいえ、私に私が以前に見たこれを考えさせる豊かさと肥沃さのヒントがある。しかし、同時に、私はそれはすべて新しく異なっていて、記憶を詰め込んだ雰囲気の秘密を漏らすような前例の建築の作品への直接の参照はないということを知っている。