Peter Eisenman Diagram Diaries
UNIVERSE

Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=Peter+Eisenman&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
YouYube(Peter Eisenman)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Peter+Eisenman&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.63
Peter Eisenman:これらの規則正しさは、それらがそれらと結びついているスペシフィックな(特定の、特異な)フォーム(形態、形式)を持たない上に、それらは如何なるスペシフィックなフォームも提示しないが、むしろ組織化(構成)の為の未熟な可能性としてみなされうるフォーマルな(形態の、形式の)エッセンス(本質、実在)の伝統的なアイデア(考え)とは異なっていた。これらのダイアグラムの未熟な可能性は建築の現実の空間とは同等ではないがむしろカントのシェマ(世界を認知したり外界にはたらきかけたりする土台となる内的な枠組み)に近かった。
House Ⅱ(住宅2号)(1969-70年)では、ダイアグラムは自己参照性と、如何にそのようなアイデアが建築の中で明示されるのかの議論を始めた。House Ⅱ(住宅2号)では、自己参照性は、それらのどちらかで構造的な支えには十分であっただろう柱のグリッドと剪断力を受ける壁のシステム両方を伴った構造システムの二重化としての過剰によって示された。そのような過剰が構造システムの一つあるいはもう一方に、もはやその構造的価値あるいは如何なる外部の(表面の、現象の)指示対象を参照しなくて、むしろ内在性を参照する、記号として見られることを許すということが示される。だから柱あるいは壁どちらも記号として見られうる、安定したあるいは一元的な指示対象はない。

Immanuel Kant(イマヌエル・カント)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88

P.64
Peter Eisenman:自己参照性の記号はイコニック(像的)な記号とインデックス的(指標的)な記号の間の差異としてHouse Ⅱ(住宅2号)のダイアグラムの中で定義された。伝統的に、ダイアグラムはイコニックな記号、幾らかの隠喩的な存在(実在)の外にある(表面にある)ものを参照したものとして使われてきた。今では、ダイアグラムはその代わりとして一連のインデックス的な記号、ほとんど隠喩的なあるいはイコニックな内容を持たないが、むしろ他のフォーマルなシステムとは異なって理解された表記法的なシステムとして見られうる差異のシステムとして見られた。これらのインデックス的な記号はさらに内在性の潜在的状態としてのそれらのイコニックな状態からのある種の宙吊りの中で存在するものとして考えられた。それはこれらのインデックス的な記号が同様にイコニックな価値を持たないということではなく、むしろこの価値がそれらのインデックス的な質とともに共存できた。

Ferdinand de Saussure(フェルディナン・ド・ソシュール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88