Peter Eisenman Diagram Diaries
UNIVERSE

Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
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YouYube(Peter Eisenman)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Peter+Eisenman&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.55
Peter Eisenman:ダイアグラムを通して、ラショナル(理性的、合理的)な方法が伝統的(慣習的)で美的なあるいは機能的な建築家の意思決定なしでAからBへ進むために見つけられたと思われた。それはダイアグラムA1、A2、A3、A4、A5がいくらかBへのあるラショナル(理性的、合理的)なプロセスを通して導くだろうということを仮定していた。ダイアグラムはあるプロセスを探究することと見つけられたものを説明すること両方の方法だった。
このことは、House 1(住宅1号)のダイアグラムが、私がア・ポステリオリ(後天的、経験に基づいた)だったのかどうか、すなわち、何が為されてきたのかあるいはそのプロジェクトがそのダイアグラムの結果だったのかどうかを説明するあるいは正当化する試みであるかどうかという問いを生じさせる。House 1(住宅1号)でのダイアグラムの探究はテラーニの作品の中のダイアグラムの探究と類似していた。

P.56
Peter Eisenman:テラーニと共に、ダイアグラムは、何が直感的に感じられるものか、どれが大抵テラーニの作品に言及するときに使われる形而上学的やファシストやモダニスト等々の言葉で説明できないのかを説明する試みだった。テラーニのカサ・デル・ファッショでは、構造や機能や美学あるいは象徴主義で説明されえないいくらかのアーティキュレーション(発言、結合、相互関連)があった。これらのアーティキュレーション(発言、結合、相互関連)はダイアグラム化されえ、そのダイアグラムは建築的内在性に対するそれらの関係性のネイチャー(本質)をあらわにする方法だった。House 1(住宅1号)のプロセスは、テラーニの作品と類似しているが、存在する人工品がないというセンス(感覚、意味)で異なっている。そのダイアグラムは建築的内在性とあるスペシフィックな建物の間の関係性を同時に見つけもし説明もする。
例えば、House 1(住宅1号)のダイアグラムの内の一つは、床の上に失われた柱の痕跡を記していた。これはいくらかのインフォーミングな(告げる)内部の状況に対する実際の空間の中のレファランス(参照、言及、関連)の信号を出していた。この記しは、機能あるいは美学とは関係ないが、ダイアグラムのフォーム(形態、形式)の中の建築の明白な(すぐに感じられる)プレゼンス(存在、現前性)の不在のアイデア(考え)を導入した。

→デリダが(イデアの、根本的なものの)不在の現象を示した様に。
また、ジャッドの色や数列や均等な配置等もまた伝統的(慣習的)な美学や表象とは関係ない、アイゼンマンのダイアグラムはジャッドの数列や配置と同じ意味を持っているのかもしれない。(井戸)

Giuseppe Terragni(ジョゼッペ・テラーニ)
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Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
Donald Judd(ドナルド・ジャッド)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=Donald+Judd&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi

P.57
Peter Eisenman:スペシフィックなアーティキュレーション(発言、結合、相互関連)は、いくつかのプライマリー(主たる、原始的な、根本的な)フォーム(形態、形式)といつも関係している一連の前の状態との関係性をアーティキュレイト(表現)した一連の変形的なダイアグラムのプレゼンス(存在、現前性)の結果であり、それを記した。本質において、その時は、最も初期のダイアグラムは、ある建築的内在性とある建てられたオブジェクト(物、対象、客体)を関係づけることを試みていたのだが、その内在性からもまた引き出された。
ダイアグラムを導入することに加えて、House 1(住宅1号)は、あるプライマリー(主たる、原始的な、根本的な)表現としてのマテリアル・ストラクチャー(素材の構成)の使用を問い始めた。如何なる建てられた作品においても、柱や梁が存在するのに、空間のプレゼンス(存在、現前性)、それらは何も引き合いに出されない(掲げられない)。これらの「構造的な」要素は(例えば機能を象徴化するために)必ずイコニック(像的)であるために、機能的な構造を持つことが必要かどうか尋ねる。実際のマテリアルは単に機能的な要素として見なされる柱だったのか、あるいはそれはまたあるサイン(記号)だったのか?非構造的あるいは「厚紙の」柱は、それが機能的な構造でなかったために、またサイン(しるし、記号)だったのか?

P.58
Peter Eisenman:その時、ここに、如何なる必要な機能なしで、構造を足したり引いたり両方しながら、非構造的なものによって信号を出された(表示された)あるサイン(記号)の構造をともなったフィジカル(物質的)なものの問いかけの示唆(ほのめかし)がある。機能しているマテリアリティー(物質性)のリダクション(削減、還元)は他のサイン(記号)、おそらくそのダイアグラムのサイン(記号)の可能性を許し、それは建てられた作品の中の機能や美学や意味のサイン(記号)をはずす(置き換える)ことができた。この置換(排除)は、ダイアグラムの痕跡によって提案され、ある本質的な機能しているものを含んできたとあらかじめ仮定された建築の内在性のネイチャー(本質)を問うた。

→ソシュールからバルトやデリダへの流れが思い浮かぶ。(井戸)

Ferdinand de Saussure(フェルディナン・ド・ソシュール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88