El croquis 83 Peter Eisenman 1990-1997

Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
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YouYube(Peter Eisenman)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Peter+Eisenman&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

Alejandro Zaera-Polo(アレハンドロ・ザエラ・ポロ)
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P.12
A.Z.P.:それでは、それらの実験のすべては、あるタイプ(類型)よりもむしろ、一つのパラメーター(媒介変数、要素)を試したということ?

P.E.:いいや、それぞれのマシーン(機械)は、たとえそれがタイプ(類型)、機能、フォーム(形態、形式)、空間、主題等々であろうとなかろうと、いくつかの異なったパラメーターを試す。

A.Z.P.:あなたは歴史はあなたの作品にとって重要な参照であり、そしてまたあなたの作品は「時代精神」の中で作動するとも繰り返し述べてきた。しかしどのようにしてあなたは建築の内在的な側面への探究をこの歴史の知識と「時代精神」へと統合するのか?

P.E.:私の作品は時代精神の中で作動するのではなくむしろ時代精神の上で作動する。時代精神を越える為に、その時代精神とは個別の典型的なプロジェクトがするものであるが、人はそれが何であるか知らなければならない。もしあなたが1920年代に作られた建物を見ているのであれば、あなたはおそらくそれが興味深いということに気付くかもしれないが、あなたはそれを今日繰り返すことはできない。それは興味深くはならないだろう、なぜならその当時それに生命を吹き込んだ同じような精神は今日それに生命を吹き込めない。私達は現在において過去のイコンを繰り返すことはできない、なぜならそれらは同じようなイコニックな(像の、偶像の)価値を持たないからだ。それでは問題は、あるいはより正確に言えば、たとえもし私達が一つの可能性としてそのような作成を受け入れたとしても、如何に私達が今日イコンを作るかということである。この議論は形体を与えられた意味やイコンを伴ったフォーム(形態、形式)はもはや実際的に意味はないということを言っている。同時に、人は現在において何がイコンであるのかを知ることは決して可能ではないと論ずることはできる。私の初期の住宅は明らかにモダン・ムーブメントに対してのノスタルジーではないが、それをインデックス(指標)的なレパートリー(可能なものの目録)として扱っている。チョムスキーやソシュールやフーコーやデリダやドゥルーズを読んで以来、私は今までとは異なって考え始めた。これらの読書の私自身の作品への影響は重要だ、なぜなら一つの意味では、これらの読書は時代精神のある側面を構成している。私にとって取り組むべきものの選択はいつもその時代の哲学の精神によって条件付けられてきた。しかしまさに影響を及ぼすように、その精神のミスリーディング(読み違え)はいつも時代精神との私の関係性と関わってきた。そういう意味で、私の作品は直線的(連続的)ではない、それは非ー線形のものや、如何なるモーメント(瞬間)においてもある時代精神を構成する現象界の(外面の)状態から導き出された突然の変化を持つ。

→ここで出てくるドイツ語の「Zeitgeist(時代精神)」はミースがかつて言った言葉だと思う。
またコールハースも同じようにフーコー、デリダ、ドゥルーズ=ガタリの影響が顕著だ。(井戸)

Avram Noam Chomsky(エイヴラム・ノーム・チョムスキー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC
Ferdinand de Saussure(フェルディナン・ド・ソシュール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA

P.13
P.E.:このようにして私の作品は、初期の住宅でフォーム(形態、形式)とラショナルな(理性的な、合理主義の)プロセスに価値を置いてきた、ア・プリオリ(先天的なこととされていること)から「the Cities of Artificial Excavation(人工的な掘削の都市)」の言語学的な類似と構造的な関係へと変化し、それからこれらの類似から建築の内在性から直接出てきた他の関心事へ変化した。しかしこれは進歩を表わさないが、変化を求める心の放浪を表わしている。私は如何なる他の「主義」あるいは過去を信じている程も進歩の考えを信じていない。私にとって時代精神は現在で生きる倫理的な姿勢である。それはおそらくユダヤ人の姿勢から来ている。ユダヤ人は、未来の状態はなく、あるのは唯一今のみである、と信じている。私は私達が今ここでそれ自身を提示する様に建築の内在性を扱う為の倫理的な責務を持っていると信じている。それが道でなかったとしても、あるいはそれが道であるとしても、私は未来の素晴らしさや、あるいは過去の栄光を信じないが、むしろ現在の現実を信じている!。