El croquis 83 Peter Eisenman 1990-1997

Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=Peter+Eisenman&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
YouYube(Peter Eisenman)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Peter+Eisenman&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

Alejandro Zaera-Polo(アレハンドロ・ザエラ・ポロ)
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&um=1&hl=ja&lr=&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Alejandro+Zaera-Polo&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5

P.9
A.Z.P.:ああ、しかし、マシーン(機械)としての戦車はある目的を持っている。戦車のデザイナー(設計者)はそれがある方法の中で作動すべきであることを知っていて、あるスピードに、ある射程距離に、ある回転半径等々に達することを意図している。戦車の(要求・条件・不足などを)満たす技術は変化し発展し変化すべきであるが、それらがそのようにできる前に、私達はそのデザインから私達が探し求めているパフォーマンス(性能)をおおよそ知る必要がある。さもなくば、私達は制作物の盲目的なエンジン(機関、動力源)、ランダム・オペレーター(でたらめな操縦者)に格下げされる。たとえライフ・ゲームのような自己発生的なプロセスにおいても、そのシステムの振る舞いを決定するいくらかの選択のクライテリア(基準)がある。私は、あなたの恣意性(任意性)への要求(主張)が指し示しているように見えても、あなたが「ボトムアップの」プロセスの中で純粋に何かをデザイン(設計)できるとは思わない。ひとりの「デザイナー(設計者)」として、あなたはいくらかの「トップダウンな」インプット(入力)をいつも必要としているのでは・・・。

P.E.:しかしながら、戦車のデザイナー(設計者)は、彼が戦車を組み立てテストするまで、それが如何に作動するか、ア・プリオリ(論理的、先験的、直感的)には知らない。経験上のテストまで待たなければならない訂正(補正)のレベルがある。私が関係しているプロセスは経験上のテストのレベルを持っている。あなたはその欠点(欠如)を理解するためにそれを建てなければならない。これが私の初期の住宅からの変化である。その点ではそれら(初期の住宅)が建てられなければならなかったとは私は思わなかった。私がHouse2(1969~70年)をしたとき、私は年が経った後の結果を見なかった。私はその空間を経験する必要性がなく、その空間の経験は重要ではないと信じていた。これはHouse2(1969~70年)からHouse3(1969~71年)で変化した、なぜなら私は経験的な空間を考え始めたからだ。それぞれのプロジェクトで私は建築の中の新しい問題を見つけ続けた、例えばHouse3では突き合わされる空間的なヒエラルキー(階層)のアイデアである。House3では私はメジャー(主)/マイナー(従)のシステム無しで住宅をつくろうとした。その空間の実際の経験の中で起こったことは知覚の問題が存在するということだった。その住宅は正確に貧しくコンセプチュアライズ(概念化)されているように見えた、なぜなら心(精神)と目(視覚))はそれらをオーダー(秩序)付ける為にものを分離する(分類する)ため一緒にはたらいていて、私が挑戦していたものはまさしくこの分離だったからである。これらの問題の為に、House4とHouse6はよりインデックス的(示唆的)な問題へと戻った、例えば、その住宅をプロセスとして同一視するように。

→アイゼンマンが、知覚の問題を主な関心事としているリチャード・セラに関心を持ったのはこの頃だろうか?(井戸)

House2(1969~70年)→「Peter Eisenman Diagram Diaries 」P.98,99参照
House3(1969~71年)→同上 P.100参照
House4(1971年)→同上 P.101~103参照
House6(1972~75年)→同上 P.104,105参照
http://it.geocities.com/fabiolachichi/Lez_10.htm

P.10
P.E.:明確にこれらの住宅を判断するそのクライテリア(基準)は、以前の建築のための判断基準であるものとは同じではありえない。良いプラン(平面)あるいは伝統的な美学としてのアイデア(考え)は、もはやクライテリア(基準)になりえない。そしてその合法化(正当化)の先行する様式(流行)から建築を切り離すアイデア(考え)がもし使われえるなら、その時、機能性やタイポロジー(類型)やイコノグラフィー(図像)は、それらが提示されたとしても、もはや合法化(正当化)の源泉として、すなわち判断のクライテリア(基準)として使用されえない。

P.E.:ドゥルーズとガタリのマシーン(機械)の自己定義について言及することは、このコンテキスト(文脈)では重要だ。彼らは言う「それが機能する内在性と実用性だ、類似よりも感化(感染)によって、類似あるいは有用性の法(慣例、原理)に従属しなくて。」

Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA
Pierre-F・lix Guattari(ピエール=フェリックス・ガタリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%BF%E3%83%AA