Architecture Words 1
Supercritical
Peter Eisenman & Rem Koolhaas
AA Publications

Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
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YouTube(Peter Eisenman)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Peter+Eisenman&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

Rem Koolhaas(レム・コールハース)
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You Tube(Rem Koolhaas)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Rem+Koolhaas&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

→アイゼンマンが言うように、ともに構造主義とポスト構造主義を道具に使うピーター・アイゼンマンとレム・コールハースの対話。(井戸)

P.10
Peter Eisenman:私達ができる別の比較(類似)がある。ここには、二つのとても異なった意図、私達二人によって為された二つの異なったプロジェクトと関係している二つのメビウスの帯がある。私にとってレムのメビウスの帯について興味深いことの一つは、CCTVにおいて、それが垂直的な建物(高層建築)の強いベクトルを頂部において水平的なベクトルに変えていることだ。私はCCTVの底部と頂部両方のベクトルが重要であると思う。その質は、私達がまたメビウスの帯のダイアグラムで取り組んだ私達のMax Reinhardt Hausの中には存在しない。私達は勿論これら二つのプロジェクトの間の殆ど12年から15年のギャップについて考慮すると、その比較(類似)は直接的なものではありえない。私達が取り組んだ二つの論点は非ー男根崇拝のタワーを作るアイデア(考え)であり、それは90年代初頭に遡ると重要な論点であったし、「内部」と「外部」によって何が意味されるのかという理論上の問いであった、メビウスの帯は絶えずそれ自身を変える、だから単一の外部も内部もなく、それら二つの間にはフレーム(枠組み)はない。

CCTV(中国中央電視台)
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Max Reinhardt Haus
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→内部と外部についてメルロ=ポンティを思い出した。
「手袋を裏返すと、指先の何もなかった空間に裏返された手袋が存在する。つまり手袋の意味は、手袋の表裏が密着した折り返し点に生成している。あらゆる物事は、内と外とが接し織りなす、リヴァーシブルな「襞」にしか存在しないのだ——。これがメルロ=ポンティの「可逆性」である。意識でも物体でもない存在として人間をとらえる「両義性」の思考を、両者の相互交流という視点から深めることで到達したこの考え方により、存在論のあらたな地平は切り拓かれた。そして哲学的反省は閉じた系として完結することを禁じられ、現象学のアクチュアリティは無限に拡大する。」鷲田清一『メルロ=ポンティ 可逆性』講談社 (井戸)

P.11
Peter Eisenman:だから私達はこの種のダイアグラムをイコンあるいはシンボルとしてではなく、むしろ建築のサブストレート(基質、培養基、支持層)への調査研究として見た。
私がこのオープニングのプレゼンテーションに含もうとした最後のイメージは私の事務所がちょうど昨日受け取ったもので、記憶の日、つまりアウシュビッツが解放された日を記念するイタリアの新しい政党のポスターだ。そのポスターについて私に興味を抱かせることは、それらがベルリンの私達のプロジェクトのフィールドの上にユダヤの星を重ね合わせることを強いられていると感じられたということだ。見たところどうやら彼らはユダヤの星なしでは誰もそのフィールドを読むことができないだろうと考えているらしい。私にとってそれは重要だ、つまり私は私自身に言い続けた、何故彼らはそのようにしなければならないのか?そして私はそれはまさに私達のプロジェクトのポイントだったと悟った、私達は彼らにユダヤの星をそのフィールドの上に重ね合わせるように強いていたのだと。私に案じさせる幾つかの論点があり、それは私達の議論の為のスタートを提供し得る、たとえ私達の両方とも多くの異なった方法の中でこれらあるいは他の論点を考察する能力があるとしても。

Holocaust Memorial Berlin(リチャード・セラとピーター・アイゼンマンのコラボレーション)
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You Tube(Holocaust Memorial Berlin)
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→イコン、シンボル、サインはパースの記号論の影響。(井戸)

Brett Steele:ありがとうピーター。次はレム、オープニングのコメントを。

Rem Koolhaas:私の今夜のプレゼンテーションは少しだけより個人的なこと以上になるだろう。基本的に、私は私がジャーナリストとして建築をすることができると思うし、ジャーナリズムについて最も興味深いことの一つは、それがディシプリン(規律、秩序、学門分野、訓練)なしのプロフェッション(専門的職業)であるということだ。ジャーナリズムは単に好奇心(物珍しさ)のレジューム(支配体制、型、領域)であり如何なるサブジェクト(主題、主体)にも適用でき、そして私はこれはまだ私の建築においてとても重要なドライビング(運転、駆動)要素であると言うだろう。
建築は奇妙にも古いサブジェクト(主題、主体)であり、幾つかのケースでは4000年以上も前から存在する一種の土地(地域、地面、地形)や法(慣習、規則)や関心事(重要性、利権)とともにある。コントラスト(対比、差異)によって、私達は今日あなたが世界全体が建築のサブジェクト(主題、主体)となったと言うことが出来るだろうまさにその時期である。

Maurice Merleau-Ponty(モーリス・メルロー=ポンティ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3
Charles Sanders Peirce(チャールズ・サンダース・パース)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B9
Edmund Husserl(エトムント・フッサール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%AB
Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7
Ferdinand de Saussure(フェルディナン・ド・ソシュール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB
Claude Lévi-Strauss(クロード・レヴィ=ストロース)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%EF%BC%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9
Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA
Pierre-Félix Guattari(ピエール=フェリックス・ガタリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%BF%E3%83%AA
Louis Althusser(ルイ・アルチュセール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%AB
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
Jean Baudrillard(ジャン・ボードリヤール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%AB