The World of Madelon Vriesendorp: Paintings/Postcards/Objects/Games
Architectural Association

Madelon Vriesendorp(マデロン・ヴリーゼンドープ)
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http://en.wikipedia.org/wiki/Madelon_Vriesendorp
Rem Koolhaas(レム・コールハース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Rem+Koolhaas&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Rem Koolhaas)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Rem+Koolhaas&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.254
Shumon Basar & Stephan Truby:その上これは私達の支配的なものの一つ、この「軽度に取り憑かれた」アーティストにおける「大きな」理論に対して起こされなければならない。つまりそれはヴリーゼンドープのものすごく多様なアウトプットはまさにそのもつれの中で起こる。
これは代わる代わる他の仮定を導く、つまりヴリーゼンドープの実践を一人のアーティストとして本当に高く評価することは、キャリアや野望や成功や作品や発展について話す時、私達みんなが使う既知のものの再評価を要求する。その代わりとしてゆっくりと現われてくるものは、明らかな否定、つまり反野望、失敗、量を決めることができる作品の不足と測定することができない発展のインデックス(表示)である。ここで、ヴリーゼンドープの「世界」の中で、道徳的でプロとしてのヒエラルキーを定義する伝統的な「格付けシステム」がしばしば(そして快く)逆転される。
レム・コールハースは私達の理論の幾つかに対して理想的なサウンディング・ボード(考え・意見などに対する反応をテストされる人)の様に思われた。私達の議論の一つのポイントで、彼は彼の根本的な(第一の)追求(営み、仕事、研究)(解釈)とヴリーゼンドープのそれ(収集)との間の相違を描く。

P.255
Shumon Basar & Stephan Truby:そして、もしその前置き(序曲)が「理論」を提供することに対してでないならば、何が解釈か?しかしそれは既に少し陰謀の理論の様に聞こえる・・・。
終始、コールハースは私達の仮定の最終的な調停者として振る舞うことを拒否した。時々それは主題(内容)が単順に「あまりにも近過ぎていて」、彼自身の生活と作品に具体化されていたからだった。にもかかわらず、他の時は、この同意(あるいは不同意)への拒否は、もし私達の理論が彼ら自身の生活を引き受ける為であるならば、採用する為の必要なポジション(姿勢、見解)であるだろうと思われる。

Shumon Basar:マデロンは彼女の作品についてあまり多くの理論を提示しないが、私がかつて聞いた一つは「誤解する(理解しない)理論」だ。アーカイブ・コレクションの中の彼女のお気に入りのオブジェクト(もの、客体)は、決して一つにまとめられないはずである痕跡のあるものである(例えば、火を吐く修道女)。あなた方両方が70年代に集めていたポストカードへ戻る関連もまたあり、これらは都市生活の認められていない歴史、「マイナーな歴史」だ。

Rem Koolhaas:それは本当に私達を結ぶものの一つだ。

Shumon Basar:それは興味深い。私は何が「公認されているか」あるいは公式のミュージアムに行くのかについての専門家の間での文化的なコンセンサス(一致、同意)がある一方で、それは過去を(それ故現在を)本当に理解する為にあなたは「悪い(誤った、狂った)もの」として一般に理解されているものを見なければならないということかもしれないと感じた。

P.256
Rem Koolhaas:オフィシャル(公式のもの)ばかりでなくアンオフィシャル(非公式なもの)あるいは成文化されていないものに対する興味は68年世代に共通する何かであるかもしれない。マディー(マデロン)の場合は、それは収集に翻訳され、私の場合は解釈することだ。

→「絶対的な真理などない、あるのは解釈だけだ。」とニーチェが言う様に、コールハースのリサーチは、現実の中にある現象を既存の公式化した解釈でなく別の解釈で見るために行なう。(井戸)

Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7
Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA
Pierre-Félix Guattari(ピエール=フェリックス・ガタリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%BF%E3%83%AA
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC
Roland Barthes(ロラン・バルト)
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Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
Jean Baudrillard(ジャン・ボードリヤール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%AB