The World of Madelon Vriesendorp: Paintings/Postcards/Objects/Games
Architectural Association

Madelon Vriesendorp(マデロン・ヴリーゼンドープ)
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http://en.wikipedia.org/wiki/Madelon_Vriesendorp

P.28
Beatriz Colomina:どの新聞に彼女は書いていたの?

Madelon Vriesendorp:「De Groene Amsterdammer」という左派の新聞だった。そして後に彼女は同様に他の新聞の為にも働いて、沢山の本を書いた。彼女はヴリーゼンドープを英語にして彼女自身をHarriet Freezerと呼んだ。

Beatriz Colomina:それじゃああなたのお父さんは?

Madelon Vriesendorp:私の父はとても愛情深かった。加えて、彼はアマチュアのアーティストだった。彼はいつも木彫をしていたしドローイングも描いていた。

Beatriz Colomina:ペインティングもですか?

Madelon Vriesendorp:実は違う。彼は80歳の時にパステルのドローイングの最初の展覧会を開き、85歳の時にペインティングの最初の展覧会を開いた。

Beatriz Colomina:しかし彼は幾らかの方法であなたに影響を与えてきたに違いない。

P.29
Madelon Vriesendorp:彼は私に近いと感じた、何故なら彼は私達は両方シュールレアリストであると思っていたから。

Beatriz Colomina:子供の頃既にあなたはペインティングをしていましたか?

Madelon Vriesendorp:はい、私はいつも描いていた。

Beatriz Colomina:アート・スクールに行きましたか?

Madelon Vriesendorp:はい。私はアムステルダムのリートフェルト・アカデミーに勉強しに行きました、そこは当時他の名前で呼ばれていたのですが。

Beatriz Colomina:そこはよかったですか?

Madelon Vriesendorp:それはとても流行遅れだった。私達はただ座って野菜あるいは果物のボウルの静物画を描くように言われた。もし私達が20分よりも早く終えたなら、私達の作品は「見ていない」良くないと言い放たれた。だから私達は反抗的になった。チューター(指導教官)が(飲み物を飲みに他のチューターと合流する為に)その部屋を去るまで私達は描くようになった。彼が出ていってしまうやいなや、私達は素早くすべてのジャガイモを剥いてしまった。そして彼が戻ってきて、そのすべての剥かれたものを見て、私達を見て、再び歩いて出ていってしまった。

Beatriz Colomina:ジャガイモは実際は何についてだったの?

Madelon Vriesendorp:私達はただそれらを数分で描いた、なぜなら私達はそれらを描いてから剥かなければならなかったから。だから私達のチューターが次に戻ってきたとき、すべてのジャガイモは四角になっていた。だから彼は再び出ていった、そして次に彼が戻ってきたとき、それらは再びこれらの小さな切れ端に変えられていた。しかし勿論彼らは人気のある先生に成りたかったから、彼らは起こっていた全体的な68年の反乱を如何に対処すればいいのかわからなかった。

P.30
Madelon Vriesendorp:ジャガイモを描くためにそこに座っていることはばかげたことだった!私達はウンザリしていた。

Beatriz Colomina:あなた達は学校を変えましたか、あるいは学校は変わりましたか?

Madelon Vriesendorp:私達はこの大きな学生の反動を支持し私達はみんな去ることを勧められた。だから私の両親は学校に来て言った、「これは何事?彼女は毎年10点の内10点を取ってきた、今彼女はこの「ジャガイモ先生」とともにいて、突然彼女はやめなければならないのか?」、そして彼らはは言った「わかりました、わかりました、彼女を戻しましょう」。しかしその時私は言った「さようなら、私はボーイフレンドとロンドンへ行くわ」。

Beatriz Colomina:それじゃ、あなたは学校を卒業しなかったの?

Madelon Vriesendorp:いいえ、私はただ去ったの。

Beatriz Colomina:レム(・コールハース)と出会ったのはいつ?

Madelon Vriesendorp:私はレムに彼のおばを通して会った、彼女は私の母のアート・スクールの親友だった。彼女はレムのおじと結婚し、彼女らの結婚記念日の為のパーティーがあった。私は17歳だった。レムと私はそのパーティー中お互い話していた。そして私は思った「これは素晴らしいわ、あなたはまるで彼が女の子であるかの様に彼に話すことができる!」

→この本のP.261~を読むと、OMA設立時のメンバーの構成はレム・コールハースとその奥さんであり画家のマデロン・ヴリーゼンドープとコールハースのもとチューターでありすぐに友人となったエリア・ゼンゲリス(コールハースよりも7歳年上)とその奥さんであり画家であるゾエ・ゼンゲリスの二人の建築家と二人の画家(建築家と画家の2組のカップル)による構成だった。そこにコールハースの教え子のザハ・ハディドが加わることになる。だから前に僕が思っていたのとは違いゾエ・ゼンゲリスも画家である様だ。(井戸)

Rem Koolhaas(レム・コールハース)
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Elia Zenghelis(エリア・ゼンゲリス)
http://en.wikipedia.org/wiki/Elia_Zenghelis
Zoe Zenghelis(ゾエ・ゼンゲリス)
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Zaha Hadid(ザハ・ハディド)
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