Studio Olafur Eliasson
An Encyclopedia
Taschen

Olafur Eliasson(オラファー・エリアソン)
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&q=Olafur%20Eliasson&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
You Tube(Olafur Eliasson)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Olafur+Eliasson&search_type=

Philip Ursprung
http://de.wikipedia.org/wiki/Philip_Ursprung

P.49
建築

Philip Ursprung:1980年代から、多くの理論家達は私達の文化の中の「空間的な(場所の)転換」について話してきている。例えば、フレドリック・ジェイムソンは、時間のパラダイム(典型)が空間のパラダイム(典型)によって継承されてきて、「私達の日々の生活、私達の心理的な経験、私達の文化的言語は、今日、時間のカテゴリーよりもむしろ空間のカテゴリーによって支配されている(特色づけられている)」という彼の本「ポストモダニズム、あるいは後期資本主義の文化的論理(1991年)」でスタートした。空間がそのような重要な論点になったという事実は、なぜ私達の社会が建築にそれほど興味を抱いているか、なぜパブリック(公)は建築家が私達の日々の生活や、さらには私達の未来についての問題の解答を持っていると期待するのかを説明するかもしれない。どうして一握りの建築家達がポップ・スターの様に崇拝されるようになったのかという現象は1990年代中頃に始まった。結果として、建築はアートの様な隣接する分野の中に拡張した。問題は、建築は徐々にアートを吸収しているのか?アートはそのグラウンド(立場)を失いつつあるのか?他方では、多くのアーティスト達は建築に移行しつつある。例えば、あなたはあなたのスタジオに建築家のグループを雇っていて、あなたは積極的に建築のプロジェクトに参加している。アートと建築は視覚文化の分野で、つまり、意味の生産において競争相手ですか?あるいはあなたは2つの分野は新しい種類のデザインへ溶け込む(合流する)だろうと思いますか?

Olafur Eliasson:私は、私達がそれとともに取り組んでいるサイト・スペシフィックな(特定の場所のために作られた)状態の複雑さと同じように、スタジオでの空間(場所)的な基礎をもつ調査研究は、私達が現代建築の中に見つけるものと同じくらい基本的な空間へのノウハウ(実際的知識)と興味を私達に与えてきたと思う。私はただ私のワーク(作品、取り組み)を「建築的な実践」として言うのは気がすすまない。それは私達がすることは建築なのかアートなのかということについてではない。つまり、それはそれらを競争相手に向けながらこれらの2つの分野を分極化することについてではない。むしろ、私達がスタジオで持つ知(知識)が私達にアートの伝統的な境界を超えることを許すことを見越し思い描くことである。突然、そのことば「アート」は私達が巻き込まれている空間的な実験へ何かを付け加えたりしない。つまり、私達の実験は、それらに「アート」や「建築」とレッテルを貼ることが余計なことになる程度まで社会のチィシュー(組織、薄織物、連続)の中にアンカー付けられる。私はそれらの成功を確保するために私のプロジェクトをアートのワーク(作品、取り組み)として正当化する必要があるとは思わないが、しかしこれはアートの実践を置き去りにすることを意味しない。起こったことは一般的にアートの実践がそれらの限界を広げてきたということだ。

Fredric Jameson(フレドリック・ジェイムソン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%BD%E3%83%B3