Studio Olafur Eliasson
An Encyclopedia
Taschen

Olafur Eliasson(オラファー・エリアソン)
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&q=Olafur%20Eliasson&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
You Tube(Olafur Eliasson)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Olafur+Eliasson&search_type=

Philip Ursprung
http://de.wikipedia.org/wiki/Philip_Ursprung

P.75
Philip Ursprung:「美しさ」は今日のアートについての議論の中でかなり両面的な言葉だ。多くのアーティストや批評家にとって、美しさの概念は時代錯誤(時代遅れ)である。つまり、それは殆どタブーであるかのように思われる。それは18世紀と19世紀の美学的な論争を思い出させ、芸術的なイデアル(理想、典型、観念)のイデア(考え、観念)や、規範と規則のイデア(考え、観念)を喚起し、それらは古代やルネッサンスに起源を持っている。アートについての議論の中の美しさへの一途な(険しい)言及は挑発になりえる。なぜならそれは直ちに権威への問いを起こすからだ。即ち、何が美しいのかそうでないのかを誰が決めることができるのか?ということだ。もし私達が、むしろ純真に(うぶに、だまされやすく)、美しさを、その感覚的印象によって私達が直ちに圧倒され、決して見飽きなく、それに対してシンパシー(共感)を持ち、共鳴(同一視)すらし、私達を取り囲むものを新鮮に見せる何かとして理解するならば、私はあなたのインスタレーションの多くを美しいと言うだろう。しかし、あなたはあなたのまさに最初のインスタレーションのタイトルの一つに「美しさ」を選んだにもかかわらず、私は決してあなたが美しさについて多くを語ったのを聞いたことがない。あなたの美しさの理解について話してもらえませんか?

Olafur Eliasson:ええ、私は際立って(強度のあるように、崇高に)見えたり、とても人目をひくように(魅惑的に)見えるものを作ろうと思っていない。なぜなら私にとって、ラショナリティー(純粋性、合理性)とセダクション(誘惑、魅力)は相互に両立しないものではないからだ。例えば、「The weather project」[2003年、テート・モダンにて;下部D参照]あるいは「Beauty」[1993年;下部P参照]での様に、あなたはあなたのセダクション(誘惑、魅力)についてラショナル(理性的、合理的)でありうる。経験(体験)の質は本当にインスタレーションと人の結合した遂行性に拠っている。つまりもしその状況がまさに個々の経験(体験)を許せば、私はそのワーク(作品、取り組み)が「美しい」と呼ばれることを恐れ(心配し)たりしない。そのワーク(作品、取り組み)に内在的な美しさのタイプ(類型)を主張することによって、多くの人がまさにそのことを提示するように思われる(見える)が、私は美しさは一般論として述べられうるとは思わない。「美しさ」はまさに複雑な言葉だ。つまりその一つのバージョンは、あなたがいるとあなたが思っているところとあなたが実際にいるところとの間の矛盾を創り出す傾向がある。ところが別のバージョンでは、ある意味では、より寛大(豊饒)だ。なぜならそれはあなたがいるとあなたが思っているところとあなたが現実にいるところとの間に部分的な重なりを創り出すからだ。