DADA
Edited By Rudolf Kuenzli
Themes and Movements
Phaidon

Kurt Schwitters(クルト・シュヴィッタース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Kurt+Schwitters&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
Merzbau(メルツバウ)
http://images.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&lr=&ie=Shift_JIS&q=Merzbau&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5

P.235
Kurt Schwitters:私が描く限り、私はまた模型をつくる(形に表わす)。現在私は「メルツ」彫刻、渇望絞首台と崇拝ポンプを作っている。その「メルツ」絵画の様に、「メルツ」彫刻は様々なマテリアルから作られている。それらは周りからみられる彫刻として考えられ、すべての方向から見られ得る。
「メルツ」ハウスは私の最初の建築的「メルツ」作品だった。かんしゃく持ちの人は「Zweemann」の8から10号でそれに対してこのようにコメントする、「「メルツ」ハウスの中に私は大聖堂を見る、それは大聖堂である。教会の建物ではなく、いや、むしろ私達を無限のもの、つまり絶対的な芸術へと上昇させるものの真に精神的な概念としての建物である。この大聖堂は使われることはできない。それの内部の空間は原動力で満たされているために人々はその中に部屋を見つけることができない・・・これは完全に芸術的な意味を伴った絶対的な建築である。」
自分自身を様々なジャンルで多忙にすることは私にとっては芸術的な必要性だった。その理由は私の作品の領域を広げることへの欲求ではあまりなく、むしろ一つのジャンルの専門家でなく一人の芸術家になるための努力であった。私の目的は作品での全体としての「メルツ」であり、それはすべてのジャンルを芸術的な統一へと結合するものだ。最初に私は一つのジャンルと結び付いた。私は言葉と文を一緒にそれらのリズミカルな構成が一種のドローイングを生み出す様な方法で詩にペースト(糊で貼り付け)した。他の場合では、私は読まれることを要求する文を含んでいる絵画とドローイングを一緒にペースト(糊で貼り付け)した。私は絵画的効果に加えて形を作る(可塑的な)レリーフ的効果も発生する方法で絵画に釘を打ち込んだ。私はこれをジャンルの境界を消すためにした。しかしながら、全体的な「メルツ」の芸術作品は、「メルツ」の舞台であり、それはこれまでは私がただ理論的に作り上げることができたものである。それについての最初の公の声明は「SturmBuhne(嵐防波堤)」の8号で出版された。「メルツ」の舞台は「メルツ」の舞台作品のパフォーマンスの役に立つ。「メルツ」の舞台作品は芸術の抽象的な作品である。ルールとして、演劇とオペラは書かれた作品から現われ、それはたとえ舞台がなくてもそれ自身の中で既に完全な作品である。舞台セット、音楽そしてパフォーマンスは、それ自身アクションのイラストレーションである、このテキストのイラストレーションとしてのみ役に立つ。演劇あるいはオペラと対比して、「メルツ」の舞台作品のすべての部分は分離できないくらい繋げられていて、それは書かれえないし、読まれえないし、聞かれえない、それはただ劇場の中で経験されうるのみだ。今まで人は劇場の制作物の舞台セットとテキストと背景音楽の間を区別してきた。すべての部分は別々に練られ、だからまた別々に楽しまれることができた。「メルツ」の舞台は全体的な作品の中へのすべての部分の融解をのみ知る。舞台セットのためのマテリアルは、白い壁や人や有刺鉄線のフェンスや水蒸気やblue distanceやlight cone(光の円錐)の様な、みんなソリッド(中まで同質物質)でリキッド(流動的、透明)で気体のボディーである。ソリッド(中まで同質物質)になるあるいは繊細な網糸へと融解するサーフェス(表面)や、カーテンの様に折り畳んだり、縮ませたりあるいは伸ばしたりできるサーフェス(表面)を使え。