Suprematism: 34 Drawings
Kazmir Malevich
Artists Bookworks; Bilingual edition
Kazimir Malevich(カジミール・マレーヴィチ)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&oe=Shift_JIS&q=Kazimir+Malevich&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81
美術家の言葉(カジミール・マレーヴィチ)
http://www.b-sou.com/palw-Malevich.htm
Suprematism(シュプレマティズム)「無対象感覚絶対主義」
http://images.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&lr=&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla%3Aja-JP-mac%3Aofficial&q=Malevich+Suprematism&btnG=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E6%A4%9C%E7%B4%A2
P.1
もし今までに単一の平面あるいは柱の中で組織体や有効性を関係させている相互に繋がったフォーム(形態)の間のすべての種類の内的ー関係の多様性によって排他的にこの接触の感覚を表現するものは何であれすべてのフォーム(形態)がエコノミックな(実用的な)幾何学的なアプローチの為にシュプレマティズムの中で今成し遂げられるならば。もしすべてのフォーム(形態)が純粋に実用主義者の理想の表現であるのならば、シュプレマティストのフォーム(形態)は目に見える認識に過ぎなく、それは来たるべき具体的な世界における実用主義者の理想の有用性のものに過ぎない。フォーム(形態)は明白に状況のダイナミック(動的)な状態を示し(強調し)、いわば、空間の中の飛行機へのさらに先へのポインター(指針)を表現する、それはエンジンという手段ではなく、完全にカタストロフィック(大変動、破局)的な構築物の扱いにくいマシーン(機械)の爆発装置による空間の征服を通してでもなく、ナチュラル(自然、本来的)なプロセスへのフォーム(形態)の滑らかな利用を通して、単一のフォーム(形態)の中でのいくらかの磁気を帯びた相互関係を通してであり、それはおそらくこれらの相互ー関係に固有のナチュラル(自然、本来的)な力すべてを包含し、それ故エンジンや翼や車輪やガソリンを必要としないだろう、なぜならそのボディーはひとつのユニットを構成している多様な要素で構成されているのではないからであろう。
「シュプレマティスト・マシーン(機械)」、もし誰かがそれをこう呼ぶのであれば、それは統合されるだろう、たとえいかなる接点がなくても。ある金属の棒はすべての要素の融解(融合)であり、地球の様に、それ自身の中に完全(理想)の生命を運ぶ(帯びている)、そのためすべての構成されたシュプレマティスト・ボディーはナチュラル(自然、本来的)な組織(構成)へと組み込まれ新しい衛星を形作るだろう、つまり必要なものすべては空間の中でソアリング(滑翔、エンジンをかけずに舞い上がる)する二つのボディーの間の相互ー関係性を発見することである。地球と月。それらの間に、新しいシュプレマティストの衛星が構築されうる、すべての構成要素を装備して、それはその新しい軌跡を形作る軌道に沿って動くだろう。
→つまり、実用主義的=機能主義的な思考(形而上学的思考)による見方で見ると、シュプレマティズムの形態は単なる視覚的形態に過ぎない。しかしシュプレマティズムは形態の内的な相互の関係をもち、それが例えば動的な感覚等を誘発することが目的であり、それに価値を置くことだろう。英語の言語において、「意味を伝える」ということと同じく重要な「感情を伝える」という言語の役割を、その語の位置関係の「倒置」によって感情を示す様に、2次元の形態の形や相互関係は「感情」を引き起こす、それが3次元になっても同じことだ。3次元の空間の場合は「倒置」というよりも、「反転」や「ずらし」によって、デリダの様に現前する形式への疑問(ロゴス中心主義批判)だけでなく、その操作子による「感覚」も生じさせる。シュプレマティズムは「感覚を誘発すること」に価値を置き、単純化することによりその価値の存在を明確にした。単純化(還元化)しなければ、他の要素に干渉され「強度」が弱まるからである。
また形而上学的思考に対するアンチテーゼや「機械」という表現などから、時代は違えどもドゥルーズ=ガタリの思考と同じようなものを感じる。ザハ・ハディドはマレーヴィチのシュプレマティズムに影響を受けているのは自身もインタヴューで語っていることだが、その師であるレム・コールハースの思考は、例えば「錯乱のニューヨーク」(1978年)はフーコーと同様にドゥルーズ=ガタリの「アンチ・オイディプスー資本主義と分裂症」(1972年)の影響を受けているように感じる。(井戸)
Zaha Hadid(ザハ・ハディド)
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Rem Koolhaas(レム・コールハース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Rem+Koolhaas&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA
Pierre-Félix Guattari(ピエール-フェリックス・ガタリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%BF%E3%83%AA
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC