El croquis 152/153
Herzog & de Meuron 2005/2010

Herzog & de Meuron(ヘルツォーグ・アンド・ド・ムロン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Herzog+%26+de+Meuron&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Herzog & de Meuron)
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Jean-Francois Chevrier
http://en.wikipedia.org/wiki/Jean-Fran%C3%A7ois_Chevrier

P.22
Jean-Francois ChevrierによるJacques HerzogとPierre de Meuronとの対話

近代建築:バーゼルの模範(実例)

Jean-Francois Chevrier:ジャック、あなたは、建築は「知覚のインストゥルメント(道具、きっかけとなるもの)」であるとしばしば言ってきた。私は心の中に絵画と関係している逸話を持っている。Francis Weyは私達にクールベが1849年の夏を(パリの近くの地域にある)ルーヴシエンヌの彼の家で過ごしたと話している。ある日、クールベは家の外の風景を描いていて、遥か彼方に彼は「一種の灰色の塊り」を見ることができたが、彼はそれが何であるのか明らかにすることができなかった。しかしFrancis Weyはキャンバスの上でそれが束にされた薪の堆積であることを見ることができた。キャンバスから少し離れて立てば、クールベはそれを彼自身見ただろう。セザンヌはこの話がとても好きだった。彼はある日Joachim Gasquet に言った「クールベと薪の話を思い出せ。彼はそれが木の積み重ねだと知らずにキャンバスに正しいトーン(色合い、濃淡、色調)をまさに置いていた。彼はそこに何が描かれているかを尋ねた。彼らは行って見てみた。そこでそれが薪の束だったことが判ったんだ。」(Gasquetが不正確にセザンヌの言葉を報告していないかぎり)セザンヌはその話を変えている。というのもセザンヌの話では、その薪はキャンバスの上のそれの様に認識できるものではなかったからである。しかしとにかく教訓は明白だ。つまりそれはそれを名指す必要性がなくてもあなたが見ているものを描くのは可能であるということだ。絵画のインストゥルメント(道具、きっかけとなるもの)がその言葉に取って代わるとき、知覚はそのオブジェクト(もの、客体)の言葉の識別より先に経験として現れる。

Jacques Herzog:私達は最初極端に真っ直ぐで、ほとんどナイーヴ(純真、愚直、素朴)な態度で始めていた(設計していた)。建築は、アートの様に、ある断言(主張、肯定)である。しかし私達はワーク(作品、取り組み)あるいは建てられたオブジェクト(もの、客体)との知覚を築くことなしで、慎重に、より近くなる方法を探していた。建築は、それが同時にニュートラル(中性)なままであり、別の方法や、別のパースペクティブ(世界の見方)から物事を見る可能性のためにその場を離れながら断言(主張、肯定)するという仕方でアートになぞらえられうる。それはネイチャー(自然、本質、性質、衝動)の中で私達をいつも魅了してきたものである。建築は、もしそれがネイチャー(自然、本質、性質、衝動)の複雑さに応答するのであれば、見る方法の多様性(変化)に開かれうるし、違った角度からそれを見る選択肢を提供しうる。

P.23
Jean-Francois Chevrier:あなたは、一人の建築家であるために、世界の中に存在するための何かをもたらすために、既に存在するものに何かを加えるために、異常な自信(うぬぼれ)を必要とする。建築のオブジェクト(もの、客体)はしばしばとても大きく、持続することを運命づけられている。そのために、あなたはとても肯定的(断定的)である必要がある。それは言葉上の断言(主張、肯定)ではないが、しかしそれにもかかわらず断言(主張、肯定)だ。

Jacques Herzog:はい。ここにはパラドクス(逆説)がある。建築は断言(主張、肯定)であり、それは世界に対して「yes」と言う。あなたはあるクライアントに「yes」という。と同時に、例えば、フランスが持っているのと同じくらい建築における国の伝統を強く持っていない小さな国スイスから出てきて、あなたは何をするべきかアイデア(考え)がない。あなたは物事をし、あなたはワーク(仕事)を見つけようと努めるが、あなたはまた空白(孤立状態)の中で取り組んで(働いて)いる。すべての建築家にとってこの状況はありふれたものだ。なぜならそれは伝統の不在から生じている。

Francis Wey
http://arts.jrank.org/pages/11647/Francis-Wey.html
Gustave Courbet(ギュスターヴ・クールベ)
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&lr=&inlang=ja&oe=Shift_JIS&q=Gustave%20Courbet&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi&biw=1355&bih=898
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%99
Paul Cézanne(ポール・セザンヌ)
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&lr=&inlang=ja&oe=Shift_JIS&q=Paul%20C%C3%A9zanne&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi&biw=1355&bih=867
Joachim Gasquet
http://en.wikipedia.org/wiki/Joachim_Gasquet
Martin Heidegger(マルティン・ハイデッガー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AC%E3%83%BC
Maurice Merleau-Ponty(モーリス・メルロー=ポンティ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3
Hans-Georg Gadamer(ハンス=ゲオルク・ガダマー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%BC
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88
Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7