Gordon Matta-Clark
Eddted By Corinne Diserens
Survey By Thomas Crow
Essays By Judith Russi Kirshner And Christian Kravagna
Phaidon

(Gordon Matta-clark: Works and Collected Writings Gloria Moure Ediciones Poligrafa)

Gordon Matta-Clark
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http://en.wikipedia.org/wiki/Gordon_Matta-Clark

P.166(P.171)
5月25日土曜日の夕方早く155 Wooster Streetの屋根の上で

GM-C:そのプロセスが幻想的なものからかけ離れているのに、私がHumphrey Street Buildingにしたことから、そんなに沢山の人々が性的なほのめかしをひき出したのは、私はとても滑稽だとわかった。それはすべてまっすぐで直の活動についてのもので、それの外部の何かと関係付けることに関してのものではない。私はいくらかの点で人々の集中力は解体し、彼らは何が起こっているか見る為の別の方法を見つけたがっていると思った。

P.166(P.172)
LB:それは確かだ。スプリッティング(切り裂くこと)はとても現実的で実践的な活動によってつくられた。しかしいったんそれが既成事実となると、あなたは人々がそうするのを止められない。

GM-C:あなたも考えている通り、彼ら自身の結論を描く・・・。

LB:彼らは如何にそれがつくられたか議論を始め、しかし、時々彼らはまたそれを図像学的に議論し始める。違うかい?

GM-C:私はそれはいくらかの方法では可能性に満ちたヴォイドかもしれないと推測する。

LB:あなたの作品の多くはその特徴をもつ、しかし・・・。

GM-C:私はそれはとても物質的だと考える。
それは彫刻的アイデアを建築に使うことについてのものではない。むしろそれは建築を通して彫刻をつくるようなものだ。だから私の作品の中に建築と彫刻の間の不断の関係がいつもあり、今となっては片方はもう一方である建物と関係を持つことよりも、そのもう一方を引き継ぐ(乗っ取る)と思われている。

LB:あなたはコーネル大学で建築を勉強していましたよね。

P.167(P.172)
GM-C:ああ。それは私の初めてのトラップ(わな)だった。しかし、私達がいつも勉強していたことは、構造の曖昧さ(多義性)や場所の曖昧さ(多義性)のセンスを私が決して持っていなく、私がすることの中で生ずることに私が興味を抱いていた質であるサーフェス(表面)のフォルマリズム(形式主義、形態主義)を含んでいた。ある程度はそれは与えられたものを再定義し始める彫刻的な活発な変形過程として私が考える側面だった?