El croquis 74/75 (合本 El croquis 45+74/75+117)

P.11(P.17)
A.Z.:アートシーンとの接触はあなたがキャリアをスタートさせた建築の伝統的な実践からあなたにある距離を与えているように見える。あなたをアーティストの友達達と違わせているものは何ですか?あなたにとって建築家であることのスペシフィシティー(特異性)は何ですか?

F.G.:私はそんな区別をはっきり持ったことがない。それはなぜクレス・オルデンバーグとあの双眼鏡をしたかということである。私は建築と彫刻のミューテーション(変化、突然変異)に興味を持っていた。私はもしクレスが建築家に転向したら彼がするであろうことを知ることに興味があった。私が発見した根本的な相違は如何に私達がものごとをするかということのなかにある。建築家として、あなたはこのようなすばらしい形をつくることができる。しかしそこであなたは内部の機能を充たすためにそれらに穴を開けなければならない。プログラムを囲い込むものとしての、プログラムの容器としての建物であることをまさに決定づける何かがある。おそらく私は変形させられた。しかし私はアートをつくる人々はより一種のコメンテイター(注釈者、解説者)であると考えている。彼らは書こうが、油彩で描こうが、線で描こうが、建てようが、それは何が進行しているかということの注釈であり批評である。それは環境のかけらをわしづかみにすることであり、人々にそれを理解できるようにすることであり、事実についての考えを付け加えることである。相違は建築家達は予算と建物の法律と重力とともに仕事をしなければいけないということである。しかし結局私はパートナーは最も困難な問題(白いキャンバスと絵筆と色の束)を抱えていると考えている。如何に初めのしるしをつけるのか?(如何に描き始めるのか?)

Claes Oldenburg(クレス・オルデンバーグ)
http://images.google.co.jp/images?gbv=1&svnum=10&hl=ja&inlang=ja&ie=UTF-8&oe=Shift_JIS&sa=X&oi=spell&resnum=0&ct=result&cd=1&q=Claes+Oldenburg&spell=1
http://en.wikipedia.org/wiki/Claes_Oldenburg

A.Z.:しかし同時に、建築家としてあなたはより直接的に環境を形作ることに関係しているのでは。あなたは物理的に都市を建てなかればならないし、それがあなたの作品がより密接に関係していて、より孤立していない理由である。それは直の責務を伴う・・・。

P.12(P.18)
F.G.:しかし、それが(責務の)言い逃れなんだ!。かなり昔、私はこれが動きをつくりステップアップし詳しく議論し白いキャンバスに向かい合うリスクを背負うその責任から建築自身を免除している方法であると理解した。建築家達は機能と予算と建築法規と重力とクライアントと時間・・・の影に隠れている。それが言い逃れなんだ!人々は自身を責任から免除する。なぜならかれらは怠惰かあるいは彼らは才能あるいは考えがないからだ。私はすべてのこのような問題を解決しなければならない。それが何か?あなたは何をしているというんだい?