El croquis 80 daniel libeskind 1987-1996

Daniel Libeskind(ダニエル・リベスキンド)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Daniel+Libeskind&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
http://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Libeskind
You Tube(Daniel Libeskind)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Daniel+Libeskind&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

Jewish Museum(ユダヤ博物館)
http://images.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&lr=&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla%3Aja-JP-mac%3Aofficial&q=Jewish+Museum&btnG=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.19
Daniel Libeskind:都市のプロジェクトでは、私は「Landsberger Allee」や「Alexanderplatz(アレクサンダー広場)」や「Potsdamer Platz(ポツダム広場)」の様なものをしてきて、私は、運び手や送り先のないこれらのテリトリー(土地、領域)に対して、ある社会政治的なフィールドで呈示でき論じうるマップ(地図)の二重性を扱った。それにもかかわらずそれらのテリトリー(土地、領域)はその都市の歴史の一部であり、それらはその最終的な黙示録的な(この世の終わりの)イメージの一部でさえあるかもしれない。
 私は例えばアルフレート・デーブリーンの本「Alexanderplatz(アレクサンダー広場)」をAlexanderplatz(アレクサンダー広場)設計競技のための都市計画について考え、まとめあげるための起点として使った。私はデーブリーンがAlexanderplatz(アレクサンダー広場)に与えた描写に特に打たれた。彼はAlexanderplatz(アレクサンダー広場)を言葉で述べるよう頼まれたとき、それは彼の「左手のプリント(痕跡)」の様だと言った。私はそれについてたくさん考えた。私はその広場の求心性と浸透性をシグナル(表示)するためにデーブリーンの左手のプリント(痕跡)を採用し彼の手とてのひらの線を使った。
 都市はフィジカル(自然的、物質的、物理的、身体的)なセンス(意味、感覚)で不変ではない。都市は、もし人がそれらがそうあるべきであると信じるものの中にそれらをトレースし(跡をなぞり)込むときのみ不変であるかもしれないし、まだそうあることは可能だ。描かれた線は、保持されうる物事と保持されえない物事の間の関係の反転(転置)を生み出す。人が記憶の中に保持しえるものは、まさに人が空間の中で決して再び保持しえないものである。あるいは逆もまた同じである。矛盾していてランダム(でたらめ)に思われるかもしれない上に、政治的に実証(検証)できる幾らかの都市のドキュメント(記録)の中にドラフトされ(下図として描き込まれ)なければならないこれらの経験とともに、なんとかして、取り組むことは、都市計画のリアルな挑戦だ。

Donald L.Bates:建築はこれらの状態の幾つかを目に見える様にするためのものですか?そして建築的な行為は、見えなくなること(消滅)と同じように、見えること(可視性)の行為ですか?

Daniel Libeskind:建築の見えること(可視性)はその目に見えない側面を控えめに述べ構築(構造化)する。だから目に見えるものと目に見えないものは実は建築と呼ばれる胎児(萌芽)を生み出すことにおいて協同者である。ここ200年、殆どの建築家達や都市計画家達は、それが現しているものを現すことに気を使いながら、建築の父性(父権)あるいは「目に見える側面」に専念してきた。そうすることによって、建築家達は何か重要なものを無視してきた。彼らはこのフィールドのより繊細な理解を無視してきた。彼らはそれ自身を現さないそれを共にしなかった。それは勿論、デザイン(設計)への理性的なアプローチである。

P.20
Daniel Libeskind:私は、限られたフォーム(形態、形式)としてではなく、安い詩としてでもなく、建設(構成、構造)的なロジック(論理)として、人は目に見えないものに正確に目標を定めるべきだと信じている。

→目に見えるものと目に見えないもの、メルロー=ポンティを思い出す。(井戸)

Alfred Döblin(アルフレート・デーブリーン)
http://en.wikipedia.org/wiki/Alfred_D%C3%B6blin
Franz Kafka(フランツ・カフカ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%AB
Walter Benjamin(ヴァルター・ベンヤミン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%A4%E3%83%9F%E3%83%B3
E.T.A. Hoffman(E.T.A.ホフマン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/E.T.A.%E3%83%9B%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%B3
Jorge Luis Borges(ホルヘ・ルイス ボルヘス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%98%E3%82%B9
Maurice Merleau-Ponty(モーリス・メルロー=ポンティ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3
Ferdinand de Saussure(フェルディナン・ド・ソシュール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88
Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC
Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA
Pierre-Félix Guattari(ピエール=フェリックス・ガタリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%BF%E3%83%AA