El croquis 80 daniel libeskind 1987-1996

Daniel Libeskind(ダニエル・リベスキンド)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Daniel+Libeskind&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
http://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Libeskind
You Tube(Daniel Libeskind)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Daniel+Libeskind&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
Jewish Museum(ユダヤ博物館)
http://images.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&lr=&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla%3Aja-JP-mac%3Aofficial&q=Jewish+Museum&btnG=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.11
D.B.:私が議論する価値があると考える一つの側面はマーキング(特徴づける)線の圧倒的なグラフィックのレベルにおいてである。それらは見えないのか見えるのか、あるいは歴史とともにより大きなコンテキストの中で記述するためでさえあるのか。私はそれらがグラフィックの制作物の中に持つ直接的な効果(印象)に興味がある。あるページに線が引かれる方法は、テクスチャーあるいは織物あるいはネットワークの中に築き上げられ(積み重ねられ)、これはあなたの作品の中でどのように振る舞うのか。私はあなたの「Micromegas」シリーズについて言及していて、そこでは線はアクソノメトリックから出てきた制作物だったし、あるいは「Chamber Works」シリーズでは、線はまさに表象(表現)ではなく、効果(印象)の全体的な別の領域を帯びていた。人は「Sachsenhausen」プロジェクトや「Osnabruck」の様な他のプロジェクトの中にそれが継続しているのを見ることができる。

D.L.:私はここで、Felix Nussbaum Museumの敷地で、Osnabruckの古代の橋の発見の好奇心をそそる出来事について言及したい。そのミュージアムの設計競技のプランは元々その町の古い壁の周辺のアーバン・サイト・プランへ観念的に描かれてきたことは多くの部外者には明白だった。新しいミュージアムはまさに予期されていない一揃いのフィールドを横切って歴史ミュージアムと、そしてもはや思い出してもそこにはいない人々としばしば関係しながら、それら自身が記憶の矛盾するフィールドの表示(しるし)である境界線と結合させられる。
彼らが建設地でそのミュージアムの基礎を掘り始めたとき、彼らはあまりに繊細に並べられ、その都市のいくらかの人々やジャーナリストが私があるオカルト的な(難解な)方法でいくらかの隠された歴史をあらかじめ発見していたと信じていたその設計競技のサイトプランの中で私が描いた線のウェブ(織物)の中にあまりに正確にフィット(適合)している埋まった橋を発見した。しかしこれらの線は必然的である。地中から発掘された橋はヌスバウム壁群(gang-wall)とちょうど直角で、新しい壁はそれ自身新たに発見された町の壁と平行であるという事実について恣意的な(任意な)ものは何もない。

Micromegas
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&hs=wW6&q=Micromegas%20Daniel%20Libeskind&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
Chamber Works
http://images.google.co.jp/imgres?imgurl=http://www.daniel-libeskind.com/typo3temp/pics/98e828af56.jpg&imgrefurl=http://www.daniel-libeskind.com/projects/show-all/chamber-works/&usg=__dVIfVLYQdBha_7oPTJP0RKO2I7c=&h=500&w=398&sz=36&hl=ja&start=1&um=1&tbnid=fjT0adyAYEw3kM:&tbnh=130&tbnw=103&prev=/images%3Fq%3DChamber%2BWorks%2BDaniel%2BLibeskind%26um%3D1%26hl%3Dja%26lr%3D%26client%3Dfirefox-a%26channel%3Ds%26rls%3Dorg.mozilla:ja-JP-mac:official%26sa%3DG
Felix Nussbaum(フェリックス・ヌスバウム)
http://en.wikipedia.org/wiki/Felix_Nussbaum
Felix Nussbaum Museum(フェリックス・ヌスバウム美術館)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&hs=aP7&q=Felix%20Nussbaum%20Museum&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

P.13
D.L.:その二つの橋、ヌスバウム橋と新しく発見された古いスウェーデン人の橋は古いオスナ橋とフェリックス・ヌスバウムと関係したものとしてのその新しく発見された歴史との間の千里眼的関係性に沿って関係付けられる・・・どちらが先なのか?年代順に確かに300年古い橋はヌスバウムの線が引かれる前にあった。と同時に人はその線はいつでも既に引かれていた、つまりその線はいつも既に引き直されていたと言うことができる。人は決して無から描かない、それはまさに紙がエンプティー(空虚)だからだ。紙は既にあるプロセスを通して置かれていて、そういう装いの中で現われ取り組まれる様にされている。おそらくそれが、私が如何にそれを見ていて、その一つがまさに線を創作する(捏造する)ために、あるいはそれらを純粋に独立した現象として扱うために自由ではないということだろう。