Constant’s New Babylon
The Hyper-Architecture of Desire
Mark Wigley
010 Publishers

Constant Nieuwenhuys(コンスタン・ニウヴェンホイス)
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&um=1&hl=ja&lr=&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Constant+Nieuwenhuys&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5
http://en.wikipedia.org/wiki/Constant_Nieuwenhuys
New Babylon(ニュー・バビロン)
http://www.digischool.nl/ckv1/studiew/destad/constant/babylon.htm
http://fr.wikipedia.org/wiki/New_Babylon

P.75
Constant Nieuwenhuys:機械化は支配の中にあり、この論理的な結果(重大性)は新しく普遍的でオブジェクティブ(客観的、物質的、身体的、具象的)な美的価値観である。この新しい美的価値観の要求は実質上コンストラクション(構築)や機能やフォーム(形態、形式)や色の絶対的な統一に等しい。このすべての空間を作っている要因の統一は様々な造形芸術の間の境界を消し、だから「コラボレーション」の更なる議論は余分なものになる。建築は装飾あるいは象徴の中に可塑性の豊かさの必要性を持たないし、借り物の衣装の中でデッキ(陸屋根、階)それ自身への必要性を持たない。いや、建築が視覚芸術から引き出すものはそれを若返らせ強化しそれに機械化から「芸術的な」利益を引き出すことを許す新しい生命のもとである。建築はその普遍的なネイチャー(本質)がそれがサブジェクティビズム(主観主義)にどっぷりとつかっている絵画と彫刻に取って代わることを可能にする新しい造形芸術にならなければならない。それ自身の中で十分ですべてのものを合体させている新しい視覚芸術、それはオブジェクティブ(客観的、物質的、身体的、具象的)にフォーム(形態、形式)や、色や、3次元的効果の中で現実化されうる。アート、それは単一の跳躍を伴って、社会とのギャップに橋を架けることができる、何故なら、そのまさにネイチャー(本質)によって、それに日々の生活へ同化されることを許す直接の機能をそれが持つ為である。アート、それは大衆の創造力にアピールする、何故ならそれは技術の無尽蔵の可能性を完全に活かすことができ、だから現代の人間がアートから期待するもの、即ち、調和や、創造力や、空間の感覚を与えることができるからである。
どこで、建築家や、視覚的なアーティストがこれらすべてに参加するのか?そのコミュニティー(共同体)が個人に対しての共鳴板(考えを宣伝するグループ)になる時はすっかり終わって、その役割は今逆になっている。
コミュニティー(共同体)は個人に果たすべき仕事、つまり「居住者」を形成する為に、生活のすべての面を取り囲む基本的なフォーム(形態、形式)を課す。ある人が多かれ少なかれ弱った全体の中で個人のアート作品を溶け込ませることを拒否し、この新しい巨大な果たすべき仕事を非難し始めだすやいなや、個性と専門的職業の特有の特徴はそれらの適切性(妥当性)を失う。
建築家はアーティストにならなければならないし、アーティストは専門技術者や専門工学者と一緒に、チームの一員として創造的な作品に取り組む為に指揮者にならなければならない。しかし個々のアーティストが彼ら自身を失われたものとして想像することなしにグループの一部として取り組むことができるまでには多くのことが起こるにちがいないだろう。このポイントに至ることは最初の本質的なステップであり、おそらくこれはまたコラボレーションに関するこのすべての話のポイントだ。

P.78
明日の生活は詩の中に存在するだろう
[イタリア、アルバで9月2~9日から開催された、Primo congresso mondiale degli artisti liberiの為のレクチャーとして1956年8月19日に、パリで書かれた、「Demain la poesie logera la vie」、オリジナルはフランス語]

Constant Nieuwenhuys:私達は、現代の建築の為の遠くまで及ぶ社会的重要さを持つ事に失敗できない、異なった活動領域で起こっている深い変形(変換)の時代に生きている。