The Activist Drawing: Retracing Situationist Architectures from Constant’s New Babylon to Beyond
edited by Catherine de Zeghter and Mark Wigley
Copublishsed with The Drawing Center
The MIT Press
Constant Nieuwenhuys(コンスタン・ニウヴェンホイス)
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&um=1&hl=ja&lr=&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Constant+Nieuwenhuys&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5
http://en.wikipedia.org/wiki/Constant_Nieuwenhuys
New Babylon(ニュー・バビロン)
http://www.digischool.nl/ckv1/studiew/destad/constant/babylon.htm
http://fr.wikipedia.org/wiki/New_Babylon
P.24
BB:そのエッセイはまだ私にとっては、シュールレアリストの都市の心理地理学の遺産とシチュアシオニストのそのモデルとの即時の繋がりのように見える。私はシュールレアリストのフラネール(散歩)とデリーヴ(漂流)の間を意味している。私はこのような二つのアプローチの間には本当に興味深い繋がりがあると考えているが、その当時のニュー・バビロンのあなたの初めての考案の最前線に受け継がれたものは(そしてそれは私が考えるにそれは本当に複雑な主題だが)なぜドゥボールはあなたがIS(インターナショナル・シチュアシオニスト)を脱退するやいなや、あなたを罪に問うたのかということだ。なぜ彼は実際の模型を実行し、構築し、想像するあなたのプロジェクトに関して、そんなに極端に攻撃的になったのだろう、もし実際のプロジェクトでなかったら、ユニタリー・アーバニズム(統一的都市計画)の為であったら?彼は60年代にあなたに対しての辛辣な攻撃を出版したとき、あなたに対して一変した。何か悪いことしたの?(笑いながら)
C:私は彼がそんなに攻撃的だったという印象は持たなかった・・・。(笑いながら)ドゥボールはとりわけ、彼は長い間私を戻したかった。それで彼は私とコンタクトし続けたかった。実際には、私はもはやこのコンタクトは欲しくなかった。なぜなら、私は私自身の方法で続けていたし、それは私をシチュアシオニストから遠ざけた。ドゥボールと他のシチュアシオニストらは、ますます政治に、政治的言明に傾いていった。アーバニズムやユニタリー・アーバニズムへの関心はゆっくりと消えていった。
BB:もし、1948年のあなたの初めてのテキストから1953年のそれに1963年にICA Londonで行った不思議な会議のテキストを読んだならば、その当時あなたはマルクス思想家だったという印象を持つだろう。
C:私は哲学的にはマルクス思想である。ひとりのマルクス思想の哲学者だ。私はマルクスは、もし彼が生きているならば、アンチ・コミュニストになっていただろうと確信している。
BB:しかし、あなたのマルクス思想の遺産の良いところをヨハン・ホイジンガが得たと幾分思われる。結局たとえマルクス思想家の思考の最も基本の定義に私達が入っていったとしても、労働と生産の概念は、初期、中期、後期と人が向かいたがるマルクス思想のなにかモデルに統合される。しかし、遊びとゲームの概念と、生産的な実践を通してよりもむしろ遊びの実践を通したアイデンティティーの構築と制定の考えは、深くアンチ・マルクス思想であり深くアンチ・歴史主義である。それは私には心理地理学の最も刺激的な要素の一つであり、人がさらに遠く(レジャー(暇な)カルチャー(文化)のイデオロギーへのその隠されて無意識な類似)に向かっていかなければならないだろうあなたのニュー・バビロンのモデルのように見える。
Johan Huizinga(ヨハン・ホイジンガ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AC