Constant’s New Babylon
The Hyper-Architecture of Desire
Mark Wigley
010 Publishers
Constant Nieuwenhuys(コンスタン・ニウヴェンホイス)
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http://en.wikipedia.org/wiki/Constant_Nieuwenhuys
New Babylon(ニュー・バビロン)
http://www.digischool.nl/ckv1/studiew/destad/constant/babylon.htm
http://fr.wikipedia.org/wiki/New_Babylon
P.78
Constant Nieuwenhuys:これは技術者の科学と彫刻家の創作の間に分散され、それ故建築家達自身を余分なものにすることに対して警告し、真正面から新しい状況に直面するよりもむしろ彼らを勇気付け、目を開かせる為の彼らへの抗議である。
今日、すべての可能な方面に於て実験の時代の跡の中で、美的価値観は絵画的表現(表象)から抽象への比較的最近の変化の結果としてフォーマル(形態的、形式的)な制限を伴いながらなんとか切り開かれてきた。実験的な絵画はそのような新造形主義としての傾向に対する反発の中で起こり、またしても人間の創造力をそのすべての様々なタブーから自由にすることに成功してきたし、従って芸術の創造性に於ける新しいステップを可能にすることに成功してきた。この同じ戦後の時代の内に、科学技術はコンストラクション(構築)方法が、完全に独創的な空間の概念を含むとても自由なフォーム(形態)の実現化に全く邪魔にならないことを表わすぐらいに発展してきた。人は、自由で大胆な創造力を容易に可能にする方法のアイデア(考え)を得る為に、ただコンクリートあるいは鉄のキャスト(型)か、鉄で強化されたコンクリートの薄板か、ステンレスあるいは非酸化金属やそれらの溶接に言及する必要があるだけだ。
そのうえ、(長い間すべての建築的美的価値観の基礎だった)矩形は幾らかの異なった理由へのその意味を失いつつある。それは何故大きな規模のコンストラクション(構築)では曲線的なフォーム(形態)の風耐力がフラットな表面のものと比較してとても好都合であるということが重要であるかということである。その頂部では、コンクリートは今日慣習的に使われているガーター・フォーム(梁型)でよりもシート・フォーム(薄板型)での方がより良く役割を果たす。科学技術はそれらの展開への明白な展望を伴った美的価値観をただ待っている様に見える。
現代建築は、(これら二つの美的状況と技術的状況の幸福な一致に感謝し、)一方では、時代遅れの創造力によって、他方では、建築家がしつこく求めていた美的側面に到達する為に装飾の方法を使うことを建築家に強いる基本の(未発達の)技術がまだあることによって、それに負わされた機能主義の厳格な教義の中に閉じ込められたままであるものは何でも更なる理由はない。長い間、(形を作る表現の自由を許すのに十分大きなコンストラクション(構築)の可能性が不足していた)建築の美的価値観は、骨組みに入って行くことができずに、従って建築は二流の装飾芸術だとされながら、ただそのフォーム(形態、形式)の表面を扱っていた。歴史において最初の内は、建築は建物の本当のアートになることができていた。そのアートはその形を作る表現がその要素のオーガナイゼイション(組織化、構成、組成)とアサンブラージュ(組み合わせ)に拠っていて、多くは画家が彼の筆のストロークをオーガナイズ(組成)するのと同じ方法である。それはこの傾向の始まりにおいて、既に機能主義の中に存在している論理が鉄やガラスの様なマテリアルの使用を通して、クリアー(明白)でアパレント(明白)なコンストラクション(構築)を可能にしながらそれ自身をマニフェスト(明示)したのだろう。
しかし今日では、建築は、建築を完全に独立した彫刻的で絵画的な装飾のアートへとする思い通りにできる制限されない建物の技術に取りかかる、しかしながら、それは機能主義の不毛に陥ることなしに。それは、まるでそれらが音や色の様な同じステータス(状態)の芸術的なマテリアルであり言語(音色)は他のアートの為のものであるかの様に、技術を使用することができるだろう。それは、すべてのアートの最も完全で、同時にその意味の中で叙情詩的でそのまさにネイチャー(本質)の中で社会的であるものの一つを創り出す為に、その美的価値観にヴォリュームのマニピュレーション(操作)や彫刻のヴォイド(空隙)や絵画の空間的な色主義を組み込むことが可能になるだろう。それはライフ(生命)が住む(存する)だろう詩の中にある。
Rem Koolhaas(レム・コールハース)
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