Anish Kapoor
Past Present Future
Institute Of Contemporary Art / Boston
MIT Press

Anish Kapoor(アニッシュ・カプーア)
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http://en.wikipedia.org/wiki/Anish_Kapoor
YouYube(Anish Kapoor)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Anish+Kapoor&search_type=&aq=f

P.28,29
作ることの中の神話:Nichalas BaumeによるAnish Kapoorへのインタヴュー

P.31
Nichalas Baume:あなたはロンドンのアート・スクールヘ行く前はインドで生まれ育った、そこはそれ以来ずっとあなたが住んでいるところだ。私達はどのようにしてあなたの作品の中の異文化の交差を理解し得るのだろうか?

Anish Kapoor:私は赤を多く使用する。私はある作品に「My Red Homeland(私の赤い母国)」というタイトルを付けたほどだ。インドの文化では赤は力強いものということは真実だ。それは花嫁衣装の色だ。それは女家長制と関連づけられ、インド人の心理の中心である。だから、私は私を文化的にそれらに導くものを見ることができるが、しかしそれに対するより以上のものがある。18世紀まで色がアートの中で使われてきた方法の内の一つは、ターナーの様に、色から光へ動かす(変える、感動させる)ことである。私の傾向は色からダークネス(暗闇)へと行くことである。赤はとても力強いブラックネス(黒さ)を持っている。この明白な色、この開かれた視覚的に招き寄せる色は、またそれ自身をダークな(暗い)内部の世界へと結びつけもする。そしてそれは私がそれに興味を抱いている本当の理由だ。それはインド的か?私はそれが問題(重大)なのかどうか知らない。私がイギリスで学生だったころ、70年代の中頃だったが、アンソニー・カロと彫刻に対するグリーンバーグ主義的フォルマリスト(形式主義者)的アプローチがあり、それは私には完全に如何なる関連性も見つけられなかった。ヨゼフ・ボイスやPaul Thekの様な、他の方法で作品をつくっていたアーティスト達もいた。それはまるで、あなたがそのオブジェクト(客体)にもたらす必要がある、さもなくばあなたはそれを見ることができない、異なった詩的なムード(風潮、雰囲気)があるかのようだ。他の言葉で言えば、アーティストはオブジェクト(客体)を作らず、アーティストは神話を作り、そしてそれは私達がそのオブジェクト(客体)を読むという神話を通してである。

Turner(ターナー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC
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Anthony Caro(アンソニー・カロ)
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Clement Greenberg(クレメント・グリーンバーグ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0
Joseph Beuys(ヨゼフ・ボイス)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&hs=H05&q=Joseph%20Beuys&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%82%B9
Paul Thek
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&hs=xhQ&q=Paul%20Thek&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

→ジャッドもまた赤が好きで、確かに赤はそれ自身に感覚的に物理的に「強度」がある。いやドゥルーズに従えば、感覚的と物理的を分けること自体が近代的形而上学(信仰)だ。感覚とは光の波長や空気の振動や温度、圧力、化学物質、身体の神経の電流などが同時的に変化することであるからだ。その上フーコーに従えば、その電気信号をどのような「感覚」だと「言葉」に変換するかということは記憶への参照と言語体系での選択であるのだから、その時代や社会によって後天的に規定されている(洗脳された)ものに過ぎない。(井戸)

P.32
Anish Kapoor:その考えはオブジェクト(客体)のステータス(状態、身分)を問うように思われる。つまり、それはそのオブジェクト(客体)は不確かなものであると言っているように思われる。そしてそれが私がそれ以来今まで探究してきたものだ!。

Nichalas Baume:あなたの作品へのインドの影響はどの程度だとあなたは見ていますか?

Anish Kapoor:インドの美学に関して私のフォーム(形、形式)の分析を誰ができるというのですか?。私は誰かができることを期待している。私は多層性の解釈の可能性を持つように思われるフォーム(形、形式)に引きつけられている。その上私は明白に読みやすいシンボル(象徴)には興味がない。私がブランクーシを愛しているのと同じくらい、空間の中の鳥は私にとってはあまりにも明白過ぎる。私は私達が他の何処かへ移動してしまったと思う。ネガティヴ(負)の、内部のフォーム(形、形式)は私に興味を抱かせる。私はまた一種のイコニック(像、偶像)の読みやすさ、私が「プロト・フォーム(原始の形)」と呼ぶものを持つフォーム(形、形式)にも引きつけられる。

Brancusi(ブランクーシ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%82%B7
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&hs=6Nl&q=Brancusi&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi