El croquis 68/69

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A.S.:私は間違っているのかもしれない。しかしプロジェクトは分析から論理的に導き出されないものだと確信している。建築を学んでいくことは、実践の特殊性を通して引き出された、科学と関係の中では複雑にも一種の劣勢を通して進んできた。この知識の断片は過度に制度化されすぎた。あなたが科学のリサーチのリアルなプロセスがあらわにされたのを見るとき、あなたは決して分析の容赦の無い継続をみないだろう。人間の心は一直線では機能せず、より混合的な、カーブやジグザグ等で機能する。それに一直線でない思考はアプリオリに存在しない制作を許すものである。なぜならそれは、可能な偶然に開かれているからである。その可能性が何かがリモートで継続してあらわれる生産的な機械(機構)を通して制度化された一連の予見(先入観)があると私は信じている。私は丁度作曲家が彼の作曲方法を記したテキストを読み終えたところで、彼はその中で説明する。「私はピアノに腰かけ、始めの一章節を弾いた。そこで立ち止まり、何かを変更し、それから続けた。しかし私は始め部分を変更しなければならなくなった。なぜなら、次の部分が構造を変形させたからだ。・・・」私は私のプロジェクトの各々は違った経緯に従っていると言うことができる。