Conversations with Mies van der Rohe
Moises Puente,editor
Princeton Architectural Press

Mies van der Rohe(ミース・ファン・デル・ローエ)
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%A8
You Tube(Mies van der Rohe)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Mies+van+der+Rohe&search_type=&aq=f

P.54
質問者:グレート(素晴らしい)フォーム(形態)とは何を意味しますか?

Mies van der Rohe:ああ、パラッツォ ピッティの様なものを話してみよう。それは何かモニュメンタル(記念碑的)なフォームだ。つまりこういうことです、私がヘンドリック・ペトラス・ベルラーヘの作品に直面させられる為にオランダに来たとき私は十分幸運だった。コンストラクション(構築)があった。私に最も強い印象を与えたものは煉瓦等の使用やマテリアル(素材)等の正直さだった。まさに彼の建物を見ることによって私がそこに行ったレッスンを私は決して忘れない。私はベルラーへと本当に少ししか話せなかったが、そのことについてではなかった。私達は決して共に建築について話したことはなかった。

Palazzo Pitti(パラッツォ ピッティ)
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Hendrik Petrus Berlage
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http://en.wikipedia.org/wiki/Hendrik_Petrus_Berlage

P.55
質問者:彼がしていたことをあなたが感じ取れたと彼が知っていたと思いますか。

Mies van der Rohe:いいえ、私はそうは思わない。私は私達がそれについて話さなかったから何故彼がそうしなければならない如何なる理由もわからない。私はその当時本当に若かった。しかし私は実に彼からこのアイデア(思考)を学んだ。私は私が見てきた古い建物のおかげでこの特別な見方に開かれたのに違いない。
そして私はフランク・ロイド・ライトからも多くを学んだ。私はそう言うことができる。私はそれを解放以上のものとして考えている。私は彼がしたことを見ることによってより自由に感じた。彼がランドスケープの上に建物を置く方法や彼が空間等を扱う自由な方法を見ることによって。

Frank Lloyd Wright(フランク・ロイド・ライト)
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88

質問者:それじゃ、それらはあなたの建築に対するアプローチへ影響を与えたんですね?

Mies van der Rohe:しかし私の建築の哲学は哲学の本を読むことから出てきた。私は私がそれを読んだ時期をあなたに話すことはできないが、私が何処かでそれを読んだことはわかる、それは建築がエポック(新時代を開く出来事、時代)に属していて、その時間(時代)や現実のエポックには属していないということだ。
私がそれを理解したから、私は建築の流行を追い求めない。私はより深い原理を探したい。そして私達が科学や技術の影響の下にいるという本を読んで研究することによって私は知ったから、私は自分自身に尋ねる「それは何に成り得るか?、この事実からどんな結果が導き出されるのか?、私達はそれを変えれるのか?、あるいは私達はそれを変えれないのか?」そしてこの問いに対する答えは私に、私が好きなものではなかったが、私が従ってきた方向を与えた。私はしばしば私がとても好きなことを捨てる。それらは私の心には大事だが、私がより良い確信や、より良いアイデア(考え)や、より明快なアイデアを持つ時、その時私はより明快なアイデアに従う。そしてしばらくして私はワシントン橋がニューヨークで最も美しく最も素晴らしい建物であると分かった。おそらく最初は私は分からなかっただろう。成長した。しかし私は最初そのアイデアを征服しなければならなくて、後に私はそれを美として認めた。

Washington Bridge
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→「目的としてのミニマル」と「手段としてのミニマル」は違う。「目的としてのミニマル」はコールハースが言うように「過度の装飾主義」であり、思考のない安易な(安易な割に効果を発揮する)「シンプルでモダンなデザイン(空間・建築)」である、マーク・ウィグリーが「White Walls, Designer Dresses」の中で指摘する様に、近代以降、建築家は建物に白いシンプルな衣服を着せてきた。一方ミースの例えばサッシ(ガラス)のディテールを見ると押え縁が出ている。もし「目的としてのミニマル」であれば、極力シンプルにするためにガラスは床や天井に直に接する様にするだろう。しかし、ミースは「手段としてミニマル」にしているのであって、目的はそのエポックから出てきた時代精神であるコンストラクション(構築)を表現することであるから、ガラスがあって押え縁でとめられているというコンストラクション(構築)を見せているのである。この場合の「手段としてのミニマル」とは要素を切り詰めることでそのコンストラクション(構築)がより鮮明に表現される様にすることである。(井戸)