Oteiza’s Selected Writings
edited by Joseba Zulaika
Occasional Papers Series
University of Nevada, Reno. Center for Basque Studies

Jorge Oteiza
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You Tube (Jorge Oteiza)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Jorge+Oteiza&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.428
4) JI:あなたは人間の救済としてアートについて話してきました、つまり、この救済は何からなっているのか、そして人間の中でアートが救済するとは何なのか?

JO:アートは人間に人間自身の精神的な自制(保留、蓄え)を描かせ、人間を豊にさせる。私達は精神的な癒しについて審美的に話すことができる。アートは外部の(表面的な)世界の明白な(見かけの)オーダー(秩序)をひっくり返し、その人自身のより深い理解の為の必要性を誘発し、私達に私達の意識(心象)の親密な(本質的な)領域にアクセスさせ、それは、明らかにされたとき、私達の感覚のエクササイズ(行使)になる。

5) JI:私が間違っていないかぎり、あなたのアートは人間の完成(救済)への方法になることを探究している、だからそれはそのゴール(目標)としての人間を持つ。つまり、これはアートを歪めることではなく、それは一種の美的なプラグマティズム(実用主義)ではないですか?

P.429
JO:宗教的な信仰は私達が見ないものを信じることを意味する、しかし、美的な信仰は私達に私達の前面で私達が見ているすべてのものを信じることを私達に教えてくれる。

P.430
JI:そしてそれは真理に仕えるべき人間であるからで、その逆でなくても、私達は美について同じようなことを言うことができないのではないか?アートは絶対的な何か、あるいは少なくとも人間から独立した何かではないのか?

JO:アートは私達に日々のフォーム(形態、形式)や空間の感覚(知覚)の経験もまた伝達する言語のコード(慣例、体系)を私達に提供する。人間は人間の自由を拡張する必要があり、真実や人間の生活(人生)の周りを取り囲む絶え間のない視覚的な奇跡を所有する必要がある。アートはこの教育に取り組む、なぜならそのゴール(目標)は人間の精神的な救済だからだ。