Richard Serra:Writings Interviews
The University of Chicago Press
Chicago and London
P.141
Peter Eisenman(以下P.E.):過去において、像の彫刻 ー 台座の上の像 ー は、オブジェクトにおける形態の表現に内在する意味と基本的に関係していた。モダニストの彫刻は形態賦与から、あるいは、私達に言わせれば、形態賦与に関する表現から逃れようとしていた。モダニストの彫刻における如何なる表現もおそらく彫刻それ自身を表現している。あなたはあなたがしようと試みていていることは彫刻的意図を生むことだと言う。これは彫刻的意図の表現(表象)か?
Richard Serra(以下R.S.):20世紀の彫刻の歴史における大きな断絶は、台座が取り払われた時に起こった。彫刻を台座の上に設置する歴史的な概念が、見る人が振る舞う空間からそのオブジェクトの分割を設立した。「台座にのせられた」彫刻は変ることなく見る人に理想化された記念された褒め称えられたテーマに服従されることによって権力の効果を伝える。建築家達が今日ロダン以来彫刻の歴史を抑制するために感じている必要性は、疑わしいヒューマニズムの見せかけのもとで疑わしい象徴的な価値を表現しようとする彼らの欲望に基礎を置いている。
P.142
R.S.:事実問題なのは象徴的価値が広告と同義になっていることだ。
社会的な関係性やヒューマニスティックな価値は、もとどおりにさせられた煙に巻く専門用語(流行語っぽい専門用語)や新しい国際的なおはこ(ギャグ、からくり)である。
建築家達が伝統的な彫刻を消費し使用する一つの理由はアートをコントロールし飼い馴らすことである。建築家達は彼らの水で割った(薄められた)芸術的因習の適応において、あからさまに復古的(反動的)だ。装飾や飾り付けや装飾物としての彼らのとどまることのないアートの誤用は、過去の創造を否定する。新しくあろうとする多くのものは事実模倣の(独創的でない)アプロプリエーション(盗用)である。
彫刻と絵画がそれらの内的必然性や内的モチベーションに頼るとき、それらは建築の構造や機能や意味に改変する潜在性を持っている。少なくともル・コルビジュエはこのことを理解していた。(Oppositions 23 1981年 P.133 1932年12月20日のVictor Nekraspvへの彼の手紙を見ると。)アートが他の価値に奉仕するよう強いられ説得させられるやいなや、アートはアート自身に奉仕することをやめる。アートからその無用さを奪うことは、アート以外のものをつくることだ。
Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
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Richard Serra(リチャード・セラ)
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Michael Graves(マイケル・グレイブス)
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Le Corbusier(ル・コルビュジエ)
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