Peter Zumthor Atmospheres
Architectural Environments・Surrounding Objects
Birkhauser
Peter Zumthor(ペーター・ツムトール)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=Peter+Zumthor&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
YouTube(Peter Zumthor)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Peter+Zumthor&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
P.14
Bruder Klaus Chapel
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&q=Bruder%20Klaus%20Chapel&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
P.15
Peter Zumthor:私はあなたに私のノートにこのことについて書いたことについて何か読み聞かせようと思う。私が意味していることのアイデア(考え)をあなたに知ってもらいたいんだ。それは2003年の洗足式だ。ここに私はいる。太陽のもとに座りながら。大きなアーケード、それは太陽の光の中、長く、高く、美しい。広場はパノラマ(次から次にくりひろげられる光景)、家々のファサード、教会、モニュメントを私に提示する(上演する)。私の後ろはカフェの壁だ。まさにちょうど相応しい数の人々がいる。フラワー・マーケット(花市)。太陽の光。11時。広場の反対側は影になっていて気持ちの良い青だ。ノイズの驚くべき範囲(音域)、つまり、近くの会話、広場の、石の上の、足音、鳥達、群衆からの穏やかなかすかな人声、車はなく、エンジン音もなく、建設現場からの時折のノイズ。私はすべての人をよりゆっくりと歩かせる休日の始まりを想像する。二人の修道女達(今現実に戻ると、私が想像しているものではないが)二人の修道女達は手を振りながら、広場を横切って軽快な足取りで歩み、彼女達のボンネット(帽子)は穏やかに揺れている、各々のプラスチックのキャリアー・バックとともに。気温、気持ちよくすがすがしく、そして暖かい。私はアーケードの中で青緑の布(革)張りされたソファーに座っている、私の前の広場にある高い台座の上の銅像がその背中をねじっている間、私はといえば、それ越しに二つの塔のある教会を見ている。二つの教会の塔の舵(かぶと)の形をした尖塔は同じではない、つまり底部では全く同じで、それらは徐々に個々の形に伸びていく。
P.16
Palazzo Trissino Baston
http://images.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&lr=&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla%3Aja-JP-mac%3Aofficial&q=Palazzo+Trissino+Baston&btnG=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E6%A4%9C%E7%B4%A2
Vincenzo Scamozzi
http://en.wikipedia.org/wiki/Vincenzo_Scamozzi
P.17
Peter Zumthor:一つはより高く、その尖塔の尖端を取り囲むように金色の王冠をともなっている。1分か2分で、Bは広場を対角線で横切って真っ正面から私に向かって歩いてくる。だから何が私の心を動かすのか(感動させるのか)?すべてだ。物事それら自身、人々、空気、ノイズ、音、色、マテリアル(物質)のプレゼンス(存在、現前性)、テクスチャー。フォーム(形)も、私が高く評価できるフォーム(形)。私が解読しようと努力することができるフォーム(形)。私が美しさを見つけるフォーム(形)。他に何が私の心を動かすのか(感動させるのか)?私のムード(気分、雰囲気)、私のフィーリング(感覚、感情)、私がそこに座っていた間に私を満たした期待のセンス(感覚、意味)。それはかの有名なプラトン哲学の文を心にもたらす、「美しさは見る人の目の中にある」。意味、それは私の中にあるすべてだ。しかし私は実験(試み)を行なう、つまり私はその広場を取り去る、そして私のフィーリング(感覚、感情)はもはや同じではない。基本的な実験、確かに、私の思考のシンプリシティー(シンプル性)を喜ばし許す(弁解する)、つまり私はその広場を取り去り、私のフィーリング(感覚、感情)は姿を消す。私はその広場の雰囲気なしではこれらのフィーリング(感覚、感情)を決して持ちえなかった。それは本当に実に論理的である。人々はオブジェクト(客体)と相互に影響し合う。建築家としてそれは私が四六時中扱っていることである。それは私が私の熱情と呼んできたものである。現実はそれ自身の魔法を持っている。勿論、私は思考の中にある魔法も知っている。美しい思考の熱情だ。しかし、ここで私が話していることは私が信じられない以上のものでさえしばしば見つける何かであり、つまり物事の魔法、現実の世界の魔法である。
プラトン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%B3