Peter Eisenman Diagram Diaries

Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=Peter+Eisenman&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
YouYube(Peter Eisenman)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Peter+Eisenman&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.44
内部性のダイアグラム

P.47
内部性:グリッド

P.48
Peter Eisenman:私の作品でダイアグラムの使用は先ず1963年の私の博士号論文の中で現れた。ダイアグラムはルドルフ・ウィトカウアーのパラーディオのヴィラの分析とコーリン・ロウのル・コルビジュエとパラーディオの比較におけるこの分析的な論議のフォーム(形態、形式)のさらなる発展に対する感応の中で展開した。ウィトカウアーとロウのダイアグラムは本質的に安定した「ア・プリオリ」な状態としてのフォーマル(形態的、形式的)なものとしての分析に拠っていた、私のダイアグラムは何か他の種を含んでいた、つまり、それらはコンセプチュアルなものやクリティカルなものの関心やおそらくこの内在性の中にあらかじめ存在している不安定性をダイアグラム化することに対する建築のフォーマル(形態的、形式的)な内在性の可能性のある開示を提示していた。この関心は続く多くの作品を占めてきた。バウハウスのバブル・ダイアグラムのような他の同時代のダイアグラムと同じく、ロウとウィトカウアーのダイアグラムと彼らよりも先立っていたハインリヒ・ヴェルフリンとパウル・フランクルのダイアグラムの間に違いがあったことはその当時私にとっては明白だった。私は現在では私の作品とロウの作品との間のとても現実的な違いに意識的ではない。

Andrea Palladio(アンドレア・パラーディオ)
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&um=1&hl=ja&inlang=ja&lr=&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Andrea+Palladio+&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5
http://en.wikipedia.org/wiki/Andrea_Palladio
Le Corbusier(ル・コルビジュエ)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Le+Corbusier&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
Rudolf Wittkower(ルドルフ・ウィトカウアー)
http://en.wikipedia.org/wiki/Rudolf_Wittkower
Colin Rowe(コーリン・ロウ)
http://en.wikipedia.org/wiki/Colin_Rowe
Heinrich Wolfflin(ハインリヒ・ヴェルフリン)
http://en.wikipedia.org/wiki/Heinrich_W%C3%B6lfflin
Paul Frankl(パウル・フランクル)
http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Frankl
Bauhaus(バウハウス)
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&um=1&hl=ja&inlang=ja&lr=&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Bauhaus&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5

P.49
Peter Eisenman:明らかに、ロウとウィトカウアーは建築におけるフォーマル(形態的、形式的)な原則の相互関連と呼ばれるものと関係させられていた、つまりかれらの仕事は私のフォーマル(形態的、形式的)なものの再・考察におけるダイアグラムの使用の為のスタート地点である。こういう文脈の中で、機能や伝統的美学や社会的関心や機械の隠喩は私にとっていつもあなたがしたいことをしている表現主義へのつまらない正当化だった。私のダイアグラムの使用は異なった原理を提示していて、そのひとつはより論理的であり、かつ伝統的な創造者たる建築家というデザイン・プロセスからいくらかはなれた建築のプロセスともより関係させられていた。そのような論理はそれ自身の中では見つけられないが、むしろ建築や他の分野、特に絵画や彫刻という他の形をつくる分野におけるフォーム(形態、形式)/コンテント(内容、意味)の関係性の間の違いを開示する可能性を持つダイアグラムのプロセスの中で見つけられた。

P.50
Peter Eisenman:絵画や彫刻や建築のダイアグラムがしばしばそれらのコンテント(内容、意味)の中で同じように見られるのに対して、私のダイアグラムの使用はそれらの間にいくらかの批評的な違いがあることを提示した。この違いはその手段とその図像性との間の、建築の機能とその意味との間の、最後にその記号(意味するもの、シニファン)とその意味されるもの(内容、シニフィエ)との間の建築における独特な関係の中に見つけられた。これは建築単独の内在性として定義されるべきものへの私の作品の基礎であった。

→ロラン・バルトが「意味するもの(記号、シニファン)」と「意味されるもの(意味、内容、シニフィエ)」の間の私達が当り前だとしているシステムや制度(神話作用)を、一神教的(キリスト教的)形而上学だとし、「記号」と「内容」の関係を宙吊りにした様に、アイゼンマンは建築の「記号」と「内容」の関係をダイアグラムの使用により宙吊りにする。これはコールハースも同じだ。ただしダイアグラムの発見の仕方と使い方(作動のさせ方)が違う。アイゼンマンは初期は建築の基本的言語つまり柱や梁やグリッドやキューブから出発し、平面や立体的なズレ(デリダ的な操作子)に移行し、地形的な歪みになっていったのに対して、コールハースはプログラムと形態の機能主義の予定調和的癒着を暴く為のプログラムー形態のルールのオーバードライブ(ポストヒューマン的な機能主義)から出発する。それはまた、スペクタルほどあからさまでなくても、僕らが当り前と思っているものでない現象を生じさせ(意味から解放された記号の放置)、ある感覚(感じ、クオリア)を生じさせる。それは「あざとさ」が消える地点、作者(作家、著者、建築家、デザイナー)が透明になる地点が訪れることも可能だ。(井戸)

Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
Rem Koolhaas(レム・コールハース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Rem+Koolhaas&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
クオリア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2