Peter Eisenman Diagram Diaries
UNIVERSE
Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=Peter+Eisenman&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
YouYube(Peter Eisenman)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Peter+Eisenman&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
P.73
Peter Eisenman:HouseⅣ(住宅4号)のダイアグラムは、それを機能と意味を付け加えた幾何学の単純な同一視から区別しながら、建築のこの最も根本的な状態を言及するサイン(記号)のシステムを提案した。これらの二つのダイアグラムの状態、つまり機能と意味は、その時「プレゼントネス(存在すること)」と呼ばれた建築的オブジェクト(もの、客体)の3番目の状態から区別される必要がある。このコンテキスト(文脈)の中でプレゼントネス(存在すること)は、ただ未来あるいは過去への参照なしにリアルな(現実の)空間/時間の中で明白な(顕在的な)記号化の行動や出来事として記述される。建築的時間の状態としての「プレゼントネス(存在すること)」あるいは行動の状態としての建築は、指標的なサイン(記号)として見られるダイアグラムの中に存在する。指標的なサイン(記号)、それはいつも不在の状態を暗示するが、ダイアグラムの中では時間のアイデア(考え)を暗示(提案)する。
P.74
Peter Eisenman:それは不在のアイデア(考え)を導く指標的なサイン(記号)のネイチャー(本質)である。ダイアグラムが指標的に、即ち、自己-参照的なサイン(記号)になるとき、ダイアグラムのアイデア(考え)は再び言語の類推(類似)から感情的なものの可能性へとシフト(変化)する。ここで、そういうわけで、別の移行がある、最初にフォーム(形態、形式)としての建築から言語としての建築へと、そして今ではアフェクト(欲動、影響、作用)の状態としての建築へと。このように、記号化の出来事、つまりHouseⅣ(住宅4号)のダイアグラムはまた機能の必然性(必要性)を越えた過剰の状態を暗示した。この過剰のアイデア(考え)はHouseⅡ(住宅2号)のそれらとは異なっていた、何故なら第一にHouseⅣ(住宅4号)のダイアグラムは、最初は、単に「アプリオリ(先験的、論理的)な」説明的な手段ではなくむしろ生成的手段であるからだ。そのダイアグラムはいったん作動させられればルールのシステムそれ自身のまさにネイチャー(本質)を変え始めるだろう一連のルールのシステムから始まった。その生成的なルールのシステムは各々の動きがその一つ前の動きの応答であるチェスのゲームにおける様な、一連の動きを引き起こすだろう。各々の動きとともにそのシステムは異なった選択肢を生み出し、それ自身を再調整する。
P.75
Peter Eisenman:その最終的な生成物はあらかじめ予期されえなかった。ここで、そのサブジェクト(主体)の前もって示された結果への欲望は鈍らされる。
しかしながら、動きの論理的な一揃いになる様に思われるものは、アルド・ロッシの1973年のミラノ・トリエンナーレのためのダイアグラムのフィルムの中で台無しにされて示された。千を越えるフレームが描かれ、「フリッカー・フィルム」と呼ばれたものに集められた。各々の空白、空白のフレームは、そのイメージにパルス(脈打ち)を起こさせながら、イメージの白いフレームが続いていた。そのドローイングはプロセスの直線的な物語であるように思われるものを生み出していた。そのダイアグラムが単一の見方の中で見られる様にアレンジされたとき、それらはある物語として理解されえた。これは二つのドローイングを連続で見る時、目はたとえ連続性がなくてもそれらのドローイングの間のギャップを埋めるためにそれ自身の連続性を作ろうとするからであった。例えば、モーフィングの技術では、オブジェクトAは中間の状態の創造を通して異なるオブジェクトBへ変えられ得る。そのフィルムではそのような中間の状態があった。
P.76
Peter Eisenman:フリッカー(ちらつき)のために、目は連続性を作るための時間を持たなかったし、目が見ていたものと心の中に記録されたものとの間の連続性がないために、見られたものは故意でないカオス的なものの様に見えた。
→記号化や法則化によって生命を漂白する機械論(機能主義)を、記号や法則の脱人間中心主義的過剰作動により乗り越え、生成つまり作用を表現し、その根拠の不在を現象させるということは、ニーチェやデリダの影響だろう。(井戸)
Aldo Rossi(アルド・ロッシ)
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Immanuel Kant(イマヌエル・カント)
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Martin Heidegger(マルティン・ハイデッガー)
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Ferdinand de Saussure(フェルディナン・ド・ソシュール)
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Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
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Roland Barthes(ロラン・バルト)
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Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
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Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA
Pierre-Félix Guattari(ピエール=フェリックス・ガタリ)
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Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
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