80年代初頭私は、複製がきわめて重要であり、必要なものだけを発明(創作)すべきだと考えていた。しかし、後に私はより発明(創作)に興味をいだくようになった。私はいつも衝撃をあたえ刺激をあたえることに興味をもっている。

→ここでの複製は、美術的にはパロディーあるいはアプロプリエーション(盗用)ということか?(井戸)
私は、モダニティーが復活するための方法は、その通俗性や俗悪性や快楽主義のまさに進歩しつつある方法に興味を持つことだと感じた。しかも、私は、既にそこにあり、存在し、成功している何かを採り上げることによってのみ、それをする事ができる。それが、その時代のコンテキストによって完全に決定づけられる戦略だった。