Hans Ulrich Obrist
Interviews
Volume 1
CHARTA

→このインタヴューは下記にも収録されています。括弧内のページは下記の本のページです。(井戸)

Rem Koolhaas & Hans Ulrich Obrist (Conversation Series 4)

Rem Koolhaas(レム・コールハース)
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You Tube(Rem Koolhaas)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Rem+Koolhaas&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
Hans Ulrich Obrist (ハンス=ウルリッヒ・オブリスト)
http://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Ulrich_Obrist
You Tube(Hans Ulrich Obrist)
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P.515(P.85)
Hans Ulrich Obrist:ベルリンでは何が起こっていたのか、それは異なったコミュニティーの側では如何なる関わり合いもなくこの都市計画が起こったということだ。私は最近東京で長谷川逸子と議論し、彼女は人は参加型の方法で都市の中で進歩するべきであると考えていて、だから建物の使用者は殆ど言う、「これは私のアイデア(考え)だった」と。

P.515(P.86)
Hans Ulrich Obrist:多くの現代アーティスト達は今日この参加の論点と取り組んでいる。これはベルリンでは実にしきりに聞かれる批評であり、それは都市が人々の関わり合いとともに建てられてきたということである。

Rem Koolhaas:それはとてもトリッキー(油断のならない、巧妙な、手の込んだ)問いだ、何故ならもしあなたが周りに尋ねリアルな調査を行なえば、私は現行の再建はとても評判がよいと思う、何故なら伝統的な広場と街路の概念に戻る現行の神話はとても人民主義の(一般向きの)プラットフォーム(基準、根拠)に成り得るからだ。他の、空虚に住むことあるいは傷跡とともに生活すること、そして激しく露骨な東側と西側の対立を受け入れること、そして苦しめられた美に立つことの状態は、理解するにはとても困難だ。建築に参加することの全体的な困難は完全に曖昧(両義的)である。例えば、ボルドーの住宅(Maison a Bordeaux,1996-1998)では、一方であなたはそれは極端な建築だと言うことができるが、他方ではそれは極端な参加だと言うこともできる。

Hans Ulrich Obrist:何故ならそれはとても強い対話だからだ。

Rem Koolhaas:そう、そしてそれ故に参加は人々が「これが私のアイデア(考え)だ。これがあなたのアイデア(考え)だ」と言うことができる為には必要ないが、反対に、実は誰のアイデア(考え)なのか、建築家のかあるいは使用者のかを言うことが不可能になる状況である。
Hans Ulrich Obrist:だからそれは一種のピンポン(言ったり来たりのやりとり)である。

P.515(P.87)
Rem Koolhaas:必ずしもではないが、むしろ他者の知性を動員するプロセスを想像することだ。しかしそれは、私が仮定された好み(優先、選択)に従ったドグマ(教義、信条)を打ち立てることではない、私が考えていることは何が起こっているかということだ。

Hans Ulrich Obrist:リモワーヌ家の為のボルドーの住宅を可動のエレベーター・プラットフォームとともに建てるアイデア(考え)をあなたに与えたのは何か私に話してもらえませんか?

P.516(P.87)
Rem Koolhaas:それは人生の真ん中で身体障害者になり十分に興味深いことにとても勇敢で如何なる抑制もなしの状態を引き受ける人物の為の住宅だった。それ故に、その論点を扱わずに、殆どその論点によって鼓舞され、住宅を考えることは興味深くなった。だから基本的に、身体障害者に対して二つの態度があり、彼らを助力するがまだ残されている可能性の中で論理的に考え出すアイデア(考え)と、補償のアイデア(考え)をはるかに過剰にする、力の上で建てること、あるいは建物全体が普通(一般)に向けたステップを作る方法で彼らに助力するアイデア(考え)である。だからそれは完全に彼の可能性に基づき、彼の不可能性に基づかなく、また家族全員にその種の論理で生活することも許した建物だ。

Maison a Bordeaux(ボルドーの住宅)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&client=firefox-a&hs=LWu&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&q=Maison%20a%20Bordeaux%20Rem%20Koolhaas&lr=&aql=&oq=&gs_rfai=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7
Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA
Pierre-Félix Guattari(ピエール=フェリックス・ガタリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%BF%E3%83%AA
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
Jean Baudrillard(ジャン・ボードリヤール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%AB