Hans Ulrich Obrist
Interviews
Volume 1
CHARTA
→このインタヴューは下記にも収録されています。括弧内のページは下記の本のページです。(井戸)
Rem Koolhaas & Hans Ulrich Obrist (Conversation Series 4)
Rem Koolhaas(レム・コールハース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Rem+Koolhaas&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Rem Koolhaas)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Rem+Koolhaas&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
Hans Ulrich Obrist (ハンス=ウルリッヒ・オブリスト)
http://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Ulrich_Obrist
You Tube(Hans Ulrich Obrist)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Hans+Ulrich+Obrist&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
P.511(P.80)
Rem Koolhaas:新しい建築の中では人工のものを逃れる術はないし、確かに同時に生じさせられている膨大な量の建築の中にも人工のものを逃れる術はない。
P.511(P.81)
Hans Ulrich Obrist:上海ですべての人が話す物語がある、それは、ベルリン市長が彼の都市で建設する速度について自慢気に話していると、上海市長が上海ではそれはおそらく20倍あるいは25倍速く進行していたと言いながら返答していたというものだ。それは、都市の発展と建築に関して他の場所で何か進行しているかということについてドイツでは殆ど知識がないように思われるということが見えてくる。
P.512(P.81)
Rem Koolhaas:私にとってそれはプロイセン人のスタイルについて論争の対象となりうることである、なぜならプロイセン人は天真爛漫(純真、単純素朴)あるいはまさに戦略的要求のどちらかであるからである。ドイツにはドイツの外の状況についての深い無知と、自身に対する信じられない偏見があり、それ故にこの種の誤解が容易に起こる。それと同時に、モダニティー(近代性、現代性)の、モダニズムの状態の「不可避性」の、あるいはモダニズムの状態の適用の、自動的な仮定について何かいらいらさせるものがある。
例えば、Reichstag(もとのドイツの国会)の改装(転用)は少なくともプロイセンの建物の強調として場違いである、なぜならイノセンス(純真)あるいは天真爛漫(純真、単純素朴)なものの二つのフォーム(形態、形式)があるからであり、Reichstag(もとのドイツの国会)の中であなたが新しい種類のドームによってその精神を追い払うことができるということは、一種のまさに儀礼的なジェスチャーでありまさに妥協された美であると考える。それは均一に弱い知的な立ち位置である。
プロイセン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3
Hans Ulrich Obrist:あなたはノーマン・フォスターのReichstag(もとのドイツの国会)のドームは「イノセンス(純真、単純、無知)」と関係していると思いますか?
Norman Forster(ノーマン・フォスター)
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&q=Norman%20Forster&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
Rem Koolhaas:歴史的に与えられたものとしてのイノセントだ。フォスターにとって、ハイテク建築は決してコンテキスト(文脈)の中で扱われなかった。
P.512(P.82)
Rem Koolhaas:単純に信じられないような曖昧な(両義にとれる)歴史を持った建物に新しい頭を置くことはイノセントか、あるいはひねくれているか、あなたがそう呼びたければ何でもよい。それ故に、それはまさに動いている状況である。唯一今これらの市の役人が、彼らが実際に彼らの新しい行使の様にナチの建物に住まなければならないということを実現(実感)している、それらから発せられる不安と共に、それは悪魔払いを必要とする。しかしガラスと鉄を施すことはまだ邪悪な(不吉な、不快な)精神を追い出すのだろうか?
Hans Ulrich Obrist:私は1991年のこのまさに奇妙な出来事を憶えている。Martin-Gropius-Bauで「メトロポリス」という展覧会があり、前のReichstag(もとのドイツの国会)でパーティーが続いてあるはずだったが、それはそのとき中止された。それはとてもこわく感じた。
Rem Koolhaas:それは全体的なポイントだ、ベルリンはとてもこわい。そしてどうも、「代用品の、模造品の」過去あるいは一種の「代用品の、模造品の」悪魔払い(それはモダニティーがしているものだが)によって、それをカバーしようとしているすべてのものは、等しく本当とは思えない。私はまたモミュメント(記念碑)のモミュメンタルな(記念碑的な)生産は、それが「公式の悪魔払い」の一部であるが故に、どちらも作用しないだろうと信じている。