El croquis 79

P.18
ヨーロッパでピロティーの上に空間を持ち上げたらヴォイドができるが、シンガポールでは大地から持ち上げられた如何なるものもパブリックな生活の形態、一種の「中国的」群衆の侵略にすぐに満たされてしまう。

P.19
この美しさ(コルビジュエ風の集合住宅に露天商が共存している態)はすべての「場」がシーケンスではなく同時に起こっていることだ。

→「錯乱のニューヨーク」でもEVの発明によって同じ高層ビルの中で階によって違う機能=欲望が同時に起こるということを書いていた記憶があるが・・・(井戸)

私はグローバリゼーションが同質性を導くという意見には反対している。近代化への同じ過程は至る所で違う結果、新しい特異性、新しい独自性を導いている。
皮肉なことに、歴史や特異性への執着がこのような新しい現実の認識の障害となっている。

→安易な歴史的な見せかけの地域性や特異性のことだろう。生物学的に言っても世界に広がった近代化は必ずその地域に人や文化(=細菌あるいは生態環境)に影響を受け変異をしていくのは自明であり、グローバリゼーションの議論は往々にしてあまりに単純化される場合が多いと感じる。(井戸)

福岡の集合住宅では日本のキッチュの一番安っぽいものを使用した。我々の建築のテーマとなるよう、「基礎」が大地から持ち上げられた日本の城壁として型枠形成されたコンクリートを使用した。それは、衝撃を持って受け止められ、一部では好意的に、一部では否定的に・・・日本建築の本来のマテリアルを私達がもてあそんだことに本当に怒り狂った人々もいた。

→サイードの本を読んでいないので確かなことは書けないが、オリエンタリズムが頭に浮かぶ。(井戸)

オリエンタリズム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
ネクサスワールド
http://www.archi-map.net/~ats/fuku/15rk.html