Conversations with Mies van der Rohe
Moises Puente,editor
Princeton Architectural Press

Mies van der Rohe(ミース・ファン・デル・ローエ)
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%A8
You Tube(Mies van der Rohe)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Mies+van+der+Rohe&search_type=&aq=f

P.84
質問者:あなたの建物を設計(デザイン)する時、あなたがする方法、ともかくシーグラムビルは、街路を隔てたMcKim,Mead and Whiteの様な他の建物に敬意を払っている。

Mies van der Rohe:ああ、確かに、そうだ。私達が始めた時レバーハウス(Skidmore,Owings & Merrill(SOM)設計、ニューヨーク、1950-52年)はそこにあった。私達がその建物をセットバックさせた時、私達はその各々の側に何が起きるだろうかわからなかった。シーグラムビルが完成した後、そこであなたはレバーハウスとシーグラムビルを得た、だからそれらの間で正しい隣の建物をセットバックすることは実に簡単だ。しかし彼らはしなかった!。それはあまりに馬鹿げている。それは如何なる建築家に対しても大きい助けだったが、それはまさに起こることだ。

P.85
質問者:シーグラムビルとは違い、二つのバカルディーの建物は異なった問題を提起した。

Mies van der Rohe:はい、それは確かに異なったサイト(場所)だった。サンティアゴ・デ・クーバの最初の建物では、クライアントは大きな部屋を持ちたかった。それは彼が好きだったものだ。彼は言った、「私は大きな部屋の中に机があるのが好きだ。私は私のスタッフと一緒に働くのが好きだ。私は他の誰よりもより働くので閉じたオフィスは必要ない、だから彼らが私を見ることは私に苦痛を与えない。」私達はそれを解こうと努めた。
しかし、メキシコでは建物の特徴を変えた二つの要因があった。一つは高速道路がそのサイト(敷地)よりも高いということであった。だからもし私達が1階の建物をそこに建ててしまったら、あなたはただ屋根を見るだけだろう。それは何故私達がそこに2階建ての建物を作ったかという理由だった。それはより普通のオフィスビルだった、何故なら、管理職の人々は独立したオフィスを主張したからだ。

質問者:あなたは歴史的な影響をどのくらい重要だと考えていますか?

Mies van der Rohe:私は文明(都会生活)の歴史には興味がない。私は私達の文明(都会生活)に興味がある。私達はそこに住んでいる。何故なら、長い間の取り組みと思考とスタディー(研究)の後に、建築は、実際、私達がその中にいるこの文明(都会生活)を扱わなければならないのみであるということを私は本当に信じている。それは本当に建築が何についてのものかということである。それはただ私達がその中にいるこの文明(都会生活)を表現するのみで他には何もない。お互いに対照的なある力がある。しかしもしあなたが本当にそれを見るのであれば、あなたは導いている力や、持続している力を見つけるだろうし、あなたは表面的な力を見つけるだろう。それが何故文明(都会生活)の定義を与えることと、私達の時代の定義を与えることがそんなに困難なのかという理由である。より古い文明(都会生活)においては表面的な力は消え失せている。ただ決定する力が、歴史的な力や例外的な力になるだけだ。

P.86
Mies van der Rohe:しばしばあなたは何かの定義をすることができない。しかしその時あなたはその核心であなたに響く何かを見る。それがそうだ。あなたはそれを表現できないが、それがそうだ。それはあなたが健康な誰かに会った時の様だ。あなたは何が言えますか、しかしあなたは誰かがいつ健康かあるいはそうでないのか知っている。それが、特にこのバロック・ムーブメントが続いている今私達がその中にいる時代の中で、私がそれだけ重要だと見つけたものである。あなたはそれをバロックあるいは他の言葉で呼ぶことができる。しかし私はそれは道理にあったものや明白なものに対するバロック・ムーブメントのフォーム(形式、形態)であると思う。特に、錯乱がある時代において、もし論理(道理)的でないなら、何が導かれ得るのか?それが何故私達が1920年代、1920年代初頭以来、物事をする為の道理に合った方法が何かを見つける為にそれだけ熱心に挑戦していたかという理由である。ユーゲント・シュティールやアール・ヌーヴォーの時代には沢山のファンタジー(空想)や彫刻的興味を持った人々がいた。彼らはみんな、多かれ少なかれ、空想的だった。しかしまさに少数の人々がその当時道理的だった。私はかなり若い時にこの合理性を受け入れることを決心した。

→以前ミース自身がトマス・アクィナスの影響やホワイトヘッドへの共感をインタビューで答えていたが、基本的には形而上学的な合理主義者である。このインタヴューは1955年1964年であり、それに対してポスト構造主義的に「錯乱のニューヨーク」を提示したのがコールハースである。(井戸)

Seagram Building(シーグラムビル)
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Lever House(レバーハウス)
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McKim,Mead and White
http://en.wikipedia.org/wiki/McKim,_Mead,_and_White
Skidmore,Owings & Merrill(SOM)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A2%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%AB
Jugendstil(ユーゲント・シュティール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&source=hp&q=Jugendstil&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
Art Nouveau(アール・ヌーヴォー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC
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Platon(プラトン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%B3
Thomas Aquinas(トマス・アクィナス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%82%B9
René Descartes(ルネ・デカルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88
Immanuel Kant(イマヌエル・カント)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88
Georg Wilhelm Friedrich Hegel(ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB
Alfred North Whitehead(アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%98%E3%83%83%E3%83%89