Conversations with Mies van der Rohe
Moises Puente,editor
Princeton Architectural Press

Mies van der Rohe(ミース・ファン・デル・ローエ)
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&q=Mies%20van%20der%20Rohe&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%A8
You Tube(Mies van der Rohe)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Mies+van+der+Rohe&search_type=&aq=f

P.56
質問者:それではあなたは何がエポック(新時代を開く出来事、時代)で特徴的なのか探し求めたんですね。

Mies van der Rohe:何がエポックのエッセンス(本質、実在)なのか。そしてそれが私が本当に表現でき、表現するに値する唯一のものだ。
私の心にまさに起こった別のことがある。トマス・アクィナスは言った、「理由は人間のすべての取り組みの最初の原則である」と。今あなたがそれをいったん理解すれば、あなたはそれに応じて行動する。だから私は理由のないものはすべて捨てる。
私は人の関心を引きたいのではない。私は良くなりたいのだ。
あなたはしばしば建築とは関係のない本の中に本当に重要なことを見つける。物理学者であるErwin Schrödingerは普遍的な原理について話していて、彼は普遍的な原理の創造的な力はまさにその普遍性に依拠すると言った。それはちょうど私が建築の中の構造について話している時に私が考えていることである。それは特別な解答ではない。それは一般的なアイデア(考え)である。
時々人々は言う「もし誰かがあなたをコピーしたらあなたはどのように感じますか?」と。私はそれは私にとっては問題ではないと言う。私はそれは私達が取り組んでいる理由(根拠)であり、私達がすべての人が使うことができる何かを見つけることであると考えている。私達は彼がそれを正しく使うことのみ望む。

→構造主義やポスト構造主義の後では、ミースのこの考えはさすがに近代的な思考法で形而上学的だなあという感じがするのは当然だが、しかし、その当時の建築家の中で一番時代精神に真剣に取り組んだ人だと思う。僕自身がヨーロッパ時代のミースにより魅かれるのは、そこにはまだ「曖昧性」が残っているからで、その「曖昧性」は現在と繋げることができるからである。(井戸)

質問者:他の言葉で言えば、コピーはあなたが普遍的な解答を見つけたという肯定である。

Mies van der Rohe:はい、それは私が共通の言語と呼んでいるものでもある。それは私が取り組んでいるものだ。私は建築に取り組んでいるのではない、私はある言語としての建築に取り組んでいる、そしてあなたはある言語を持つ為に文法を持たなければならないと私は思う。それはある生きた言語であるべきだが、まだあなたはその文法のエンド(終わり、結果、果て、目的)に入っている。それはディシプリン(秩序、学問分野)だ。そのうえあなたはそれをノーマルな目的の為に使うことができプローズ(散文、無意味の言、平凡)で話す。そしてもしあなたがそれに忠実であれば、あなたは素晴らしいプローズ(散文、無意味の言、平凡)で話し、もしあなたが本当に忠実であれば、あなたは詩人になれる。しかしそれは同じ言語であり、それが特徴だ。詩人は各々の詩の為に異なる言語を示さない。

Thomas Aquinas(トマス・アクィナス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%82%B9
Erwin Schrödinger
http://en.wikipedia.org/wiki/Erwin_Schr%C3%B6dinger

P.57
Mies van der Rohe:それは必然的ではない、つまり彼は同じ言語を使い、彼は同じ言葉さえも使う。音楽ではそれはいつも同じ同じ楽器を使い、その大部分はその時間(時代)のものだ。私はそれは建築でも同じだと思う。
もしあなたが何かを建てなければならないのであれば、あなたはそれからガレージを作ることもできるし、あるいはそれから大聖堂を作ることもできる。私達はこれらのことすべてに同じ手段や同じ構造的方法を使う。それはあなたが取り組んでいるレベルとは関係がない。私が言おうとしていることは共通の言語を発展させることであり、特に個々のアイデア(考え)ではない。私はそれは私達の時代全体の最も大きいポイントであると思う。私達は現実の共通の言語を持ってない。それを打ち立てる為に、もし可能であれば、もし私達がそれをすることができるのであれば、その時私達は私達が好きなものを建てることができ、すべてのものが申し分なくなる。私は何故それが事実になるべきでないという理由が見当たらない。私はそれが未来への責務であると完全に考えている。