Conversations with Mies van der Rohe
Moises Puente,editor
Princeton Architectural Press

Mies van der Rohe(ミース・ファン・デル・ローエ)
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&q=Mies%20van%20der%20Rohe&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%A8
You Tube(Mies van der Rohe)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Mies+van+der+Rohe&search_type=&aq=f

P.53
質問者:まだ読んでいるの?

Mies van der Rohe:はい。私は本当によく古い本を読む。アメリカ建築家協会(AIA)のニューヨーク支部はかつて続いているいくつかのパーティーを開いた。私は言った「私がドイツを去ったとき、私は約3000冊の本を持っていた。私はリストを作り、それらの内300冊が私に送られた。」私は言った「私は270冊の本を送り返すことができた。30冊はすべて私が持っていたいものだ。」
私は価値の哲学と精神の問題に興味があった。私はまた天文学と自然科学にもとても興味があった。私は私自身に問うた「何が真実か?何か真実か?」トマス・アクィナスに立ち止まるまで。私はそこに答えを見つけた。
だから、他の物事に対して、何がオーダー(道理)か?すべての人はそれについて話すが誰もあなたにそれが何であるか話すことはできなかった。私が社会学についてアウグスティンを読むまでは。そのとき建築の中と同じくらい顕著な混乱があった。あなたは沢山の社会学の本を読むことができ、あなたは以前よりもより博学ではなかった。

Thomas Aquinas(トマス・アクィナス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%82%B9
Augustine Brannigan

質問者:あなたは他の時代において真実を探し求めていた人々の思考が今日適用できると感じますか?

Mies van der Rohe:ああ、確かに。私は自信を持っている。ある真実がある。つまりそれらは使い尽くされていない。私はすっかりそれに自信を持っている。私は他の人々について話すことはできない。私は私が必要としたものに従ったのだ。私はこの明快さを望んだ。私は他の本、沢山の詩あるは他のものも読むことができた。しかし私は他の本は読まなかった。私はある物事についての真実を見つけることができたこれらの本を読んだ。

質問者:あなたの父あるいは母はこの様な方法であなたが思考することに影響を与えましたか?

Mies van der Rohe:いいえ、まったく。いや。私の父は言った「この様なばかな本は読むな、仕事しろ」と彼は職人だった。

P.54
1955年のインタヴューから

質問者:あなた自身の建築についての思考に影響を与えた偉大な作品あるいは偉大な建築家はいましたか?

Mies van der Rohe:はい、問題ない。私はもし誰かがその人の作品を真剣に捉え、ましてその人が比較的若いのであれば、その人は他の人々に影響を受けるだろうと思う。あなたはまさにそれを救うことはできない。それは一つの事実だ。
先ず最初に、私は古い建物に影響を受けた。私はそれらを見た、人々がそれらを建てたのだ。私はその名前は知らないし、私はそれが何だったのかも、ほとんどまさに簡素な建物だったのだが、知らない。私が本当に若い、20歳にも満たない頃、私はこれらの古い建物が如何なるエポック(新時代を切り開く出来事)にさえ属していないから、これらの古い建物の強度に影響を受けた。しかし、それらは1000年の間そこに存在し、まだそこに存在し、まだ強い印象を与え、何もそれを変化させえなかった。そしてすべてのスタイル(様式)や偉大なスタイル(様式)は過ぎ去ったが、それらはまだそこに存在していた。それらは何も失わなかった。それらはある建築的エポック(新時代を切り開く出来事)を通して無視されたが、それらはまだそこに存在し、それらが建てられた最初の日に存在していたのと同じぐらいまだ素晴らしかった。
それから私はペーター・ベーレンスの下で働いた。彼はグレートな(強度の、深遠な)形態のあるグレートな(強度の、深遠な)感覚を持っていた。それは彼の主な興味だった、つまりそれが私が確かに彼から理解し学んだことだった。

Peter Behrens(ペーター・ベーレンス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9

→何かハイデガーのものが「存在」することに対する考えに繋がる様に感じる。勿論ハイデガーに影響を多大に受けたのはズントーであるが。(井戸)

Martin Heidegger(マルティン・ハイデッガー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AC%E3%83%BC
Peter Zumthor(ピーター・ズントー)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=Peter+Zumthor&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi