Michael Heizer
Germano Celant
Fondazione Prada
Michael Heizer(マイケル・ハイザー)
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Double Negative a website about Michael Heizer
http://doublenegative.tarasen.net/
P.192
M.H.:私が2年間の間ニューヨークに滞在した後、私はそこで本当に死んだも同然のアートを見た。同じ頃たくさんの物事がすっかりだめにされていた、なぜならそのフォーム(形態、形式)それ自身が問いに入っていたからだ。私は幸運だった。なぜなら私は本当にそれらすべてに巻き込まれて(関係して)いなかったからであり、私は新しい状況を扱うのに備えていた。
P.196
M.H.:もし四つの円が一つの円の中に描かれ、その場所(中心、軌跡)と大きいほうの円の円周両方の接点はそこでは正確に等しい結果になる。最大限の代替案は、この作品での様に、利用されうる。美学と関係するものは何もない。
P.203
M.H.:「Double Negative(ダブル・ネガティブ)」は、トラクターがそのマテリアルをエッジに押し出さなければならなかったから、少しは掘削のグラヴィティー(重力、真剣さ、重大さ、容易ならぬこと)を使った。マテリアルのヴォリュームが増大するにつれて、切り込みの長さはより大きくなりその底はより長くなった。結局、その作品が完成したと認識する決定的な要因は二つの流出あるいは二つの発掘のヴォリューム(容積)とシェイプ(形)に依拠した。それらは切り込みの「結果」の様に見えるが、それらは実際にはその作品を完成させるための最終のフォーム(形態、形式)になった。その切り込みは、マテリアルを作り出すために、そのグラヴィティー(重力、真剣さ、重大さ、容易ならぬこと)がヴォリュームを形作り、バランスが保たれ、視覚的に関係付けられる状態が現れるまで、活動的なまま保たれた。他の言葉で言えば、メサでのその切り込みは流出の為のマテリアルの原形になった。その流出がランダムのように見えても、それらが彫刻的なプレゼンス(現前性)を呈するまで、それらは継続的な切り込みと押し出しを通して注意深く発展させられた。切り込みは単純にマテリアルを供給した。しかしながら、その両方ともお互いに関係しなければいけなかった。
M.H.:「Double Negative(ダブル・ネガティブ)」は、グラヴィティー(重力、真剣さ、重大さ、容易ならぬこと)のために、それ自身のサブスタンス(物質、内容、本質)を使いながら、完全な視覚的声明と如何にそれが作られたかという説明から離れて、作られた。「Double Negative(ダブル・ネガティヴ)」には、実際にそこにはないオブジェクト(客体)あるいはフォーム(形態、形式)の含意がある。この彫刻を創り出す為に、マテリアルは蓄積されるよりも取り除かれた。その彫刻は伝統的なオブジェクトの彫刻ではない。二つの切り込みはあまりに大きいので、そこにはそれらが一つの単一のフォーム(形態、形式)として連結されているという含意がある。タイトルである「Double Negative(ダブル・ネガティブ)」は二つの切り込みの文字通りの記述であるが、ダブル・ネガティブ(二重否定)は不可能であるので形而上的含意を持っている。そこには何もない、それでもなおそれはまだ彫刻である。
M.H.:ネバダで制作していて、重装備を蓄積してきたためか、私の作品はますます大きくなった。私は建築的な寸法の概念で制作し始めた。私が「Double Negative(ダブル・ネガティブ)」を築いたとき、私は建物と同じくらい大きな何か、エンパイヤー・ステート・ビルディングの高さよりも長さにおいて大きい何かを築いたと実感した。これは私にとっては重要な関係になった。
Double Negative(ダブル・ネガティブ)
http://doublenegative.tarasen.net/double_negative.html